書評・紹介

2024/1/26
黒古一夫 著『ヤマトを撃つ沖縄文学』、週刊読書人2024年1月26日にて紹介 ヤマトを撃つ沖縄文学
ヤマトを撃つ沖縄文学

黒古氏は「あとがき」で、「沖縄文学」の「本質」は「ヤマト=日本への「異議申し立て」を作品の根っこに持っている」ことにあり、それは「この三人の作家の作品に集約されていると考えていいのではないか」、と述べている。言わば沖縄文学山脈にある高峰三座が、この三人の芥川賞作家であり、この三人の文学を押さえておけば、沖縄文学の緊要なところをほぼ知ることができる、という判断から論じられているのが本書である。実際、読者は本書から沖縄文学の特質について学べることができる。ただ、そこには手厳しい批判もある。(後略)(綾目広治)

2023/12/27
川田絢音 著『こうのとりの巣は巡る』、現代詩手帖 現代詩年鑑2024にて紹介 こうのとりの巣は巡る
こうのとりの巣は巡る

(前略)矢はすでに手帖から放たれ/刺繍をほどこされた表紙の布が/なにか隠されていないかと切り裂かれている/係りの婦人の蝋人形の威圧を浴びて/カウナス第九要塞の/ガラス・ケースの前に立ちすくむ(「手帖」全文)言葉がそぎ落とされた作品がならぶ本詩集のなかでも、もっとも短く、不穏な道行の予感に満ちた一篇ではないかと思う。カウナス、と聞けば、第二次世界大戦中に多くのユダヤ系難民にビザを発給して救った杉原千畝を連想する人もいるだろう。第九要塞は、当時ナチス・ドイツの強制収容所として使われ、今は博物館となっている。読者は、圧倒的な暴力の痕跡を展示するガラス・ケースの前にともに立ちすくみ、そこから歩を進めてゆくことになる。(後略)(唐作桂子)

2023/8/17
及川祥平 著『心霊スポット考』、図書新聞2023年8月12日にて紹介 心霊スポット考
心霊スポット考

(前略)本書は民俗学の視点から心霊スポットを解体する。それはまず「心霊スポット」という言葉そのものであり、また「心霊スポット」という空間がいかにして形成され、人々に広まっていくかという経過である。(略)もちろん学術的に心霊スポットを考察する以上、本書の内容はそれを全肯定するものではない。しかし心霊スポットを民俗学的な視点で学びたいという人にはもちろんのこと、心霊スポットを愛好する人や、興味がある人にもぜひ読んでほしい。心霊スポットという名称が使用されるようになって以降、その名は人々の間に馴染み、浸透した。それゆえに当たり前になった心霊スポットという言葉や定義について、本書は改めて考えるきっかけをくれるのだ。

2023/7/18
及川祥平 著『心霊スポット考』、日経新聞2023年7月15日にて紹介 心霊スポット考
心霊スポット考

(前略)その当時から「あったらいいな〜、こんな本」と心待ちにしていた書物が、とうとう実際に刊行されてしまった! すなわち本書、『心霊スポット考 現代における怪異譚の実態』である。タイトルを見て誤解される向きもありそうだが、本書はいまの時期、山のように刊行されている、いわゆる「心霊スポット案内」の本ではない。著者は成城大学で日本民俗学を講ずる本職の学究で、すでに『偉人崇拝の民俗学』という著書などもある。本書の特質は、冒頭いきなり、日本民俗学の開祖・柳田國男の名著『妖怪談義』から「化け物の話を一つ、出来るだけきまじめに又存分していみたい」という有名な一節を掲げ、自らもまた「いたって真面目な関心のもとで、心霊スポットの話を存分にしてみたい」と断言している点にある。(後略)

2023/5/25
窪島誠一郎 著『枕頭の一書』、しんぶん赤旗2023年5月21日にて紹介 枕頭の一書
枕頭の一書

枕頭の書は、寝床のそばに置いている愛読書とか、睡眠導入のための本とか、人生の最後に読んでいた本といった意味もあるようだ。その解釈の幅もこの本の妙味となっている。(中略)枕頭の書を通して死者と語らい、彼らの半生や老い、彼らが生きていた時代、そして現代社会から失われてしまったものを懐かしむ。最後の最後まで言葉を求めた作家たちの読書から、生きることの意味を問いかけてくる。

2023/5/15
常磐隆 著『クラシック音楽の感動を求めて』、音楽現代2023年6月号にて紹介 クラシック音楽の感動を求めて
クラシック音楽の感動を求めて

長年に渡りクラシック音楽を愛聴してきた常盤隆さんによる音楽を楽しむ指南書。常盤さんは大手金融会社の国際部門、リテール部門で活躍しつつ、クラシック音楽の研究を続けてきた。「はじめに」に「私は、クラシック音楽の聴き方として『教養』や『知識』とは別の方法があることを強く提唱したい」とあり、本書ではつまみ食い的鑑賞法≠続けてきた結果、常盤さんの周りは常にたくさんの感動的な曲や演奏で溢れるようになったことが語られる。11章からなる章立てもユニークで、つまみ食いCD≠フ紹介も。収集したCD3000枚から、感動への近道となる曲や演奏が紹介されている。しかしながら、つまみ食い的≠ニはいえ、本書で紹介されている演奏家は、往年の名指揮者、名演奏家などヒストリカルを含むディープな顔ぶれ。ところどころに挟まれるコラム、ドナルド・キーン氏や中野雄氏との思い出からも、常盤さんのこれまでの音楽愛聴史が長く深いものであることがわかる。お薦めの一冊である。

2023/4/24
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、日本経済新聞2023年4月22日にて紹介 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録

本書が主に扱う挿絵本とは、単なる絵入りではない。19世紀後半から20世紀前半にかけて、フランス限定出版された豪華な挿絵入り文芸書のことだ。紙と印刷に綴った仮綴本を購入し、革で製本・装丁させた特注の書物にほかならない。愛書家と製作者が注ぎ込む情熱と時間、資金と技術が凄みを帯びた美を醸し出す。(中略)本書は通人向けの愛書趣味エッセイ集に留まらず、西洋の挿絵や版画の歴史、書物の文化史の基本も押さえてくれる。写本から活版印刷への展開、ルネサンス期におけるアルドゥスの小型本やグロリエの金箔捺し革製本の意義等。また、ロココの『艶笑譚』の巧みな解説には思わず笑ってしまう。他にも、日本との関連や蔵書票など、目配りが心憎い。(後略)

2023/4/20
常磐隆 著『クラシック音楽の感動を求めて』、モーストリー・クラシック2023年6月号にて紹介 クラシック音楽の感動を求めて
クラシック音楽の感動を求めて

著者は1956年生まれ、大手金融機関に勤め、退職した音楽愛好家。クラシックとの出合いは小学生の音楽の先生にあこがれたことがきっかけという。サラリーマン生活の傍ら、「クラシックを聴き続けたい」という意欲を持ち続け、音楽は常に身近な存在だった。本書は自身が感動した作曲家、作品、演奏家などについて著者の言葉で語っている。(中略)著者経歴にはフランス留学やシカゴなどの海外勤務時にも演奏会に親しむとあるが、本書はあくまでLPやCDなど録音を通しての音楽の素晴らしさが語られる。日本の音楽愛好家は明治以来、録音を聴き育ってきた。外国の一流演奏家の生演奏を聴く機会は多くなかったが、どん欲にCDなどを収集し、音楽を自分のものにした。著者もその1人なのだろう。音楽との幸せな関係が続いてきたことがよく分かる1冊である。

2023/4/18
常磐隆 著『クラシック音楽の感動を求めて』、ショパン2023年5月号にて紹介 クラシック音楽の感動を求めて
クラシック音楽の感動を求めて

(前略)ドナルド・キーンや中野雄を敬愛し、大手金融機関を勤め上げた著者が50年以上にわたって収集したCD3000枚から、オーケストラ、協奏曲、ソリストの演奏から、歌曲、オペラ、日本人演奏家まで、「つまみ食い的」な感動をあたえる曲や演奏に焦点を当てる。参考として著者のオーディオ・システムを紹介しているのも興味深い。

2023/4/10
窪島誠一郎 著『枕頭の一書』、産経新聞2023年4月9日にて紹介 枕頭の一書
枕頭の一書

枕頭の一書とは、死ぬ瞬間に病臥のかたわらに置いていたり、読みかけていたりした本のこと。本書では、著者と交流があった大岡昇平ら作家・評論家4人に永井荷風と芥川龍之介を加えた6人の枕頭の一書を挙げ、なぜその人はその本を選んだのかを考察する。(後略)

2023/2/3
川田絢音 著『揺れる船』、現代詩手帖2023年2月号にて紹介 揺れる船
揺れる船

新詩集『揺れる船』の帯には、川田さんの移住や旅の記録が来歴として掲載されている。中国で生まれ、神戸から、東京へ。イタリアに渡ったあとも、アジアや中欧の地域を忙しく歩き回り、現在のヴェローナに「居住」している。居住。その言葉にふさわしい、身だけひとまずそこに置いていて、時機がくればいつでも出ていってしまいそうな感じを、前詩集『白夜』からは受けていた。けれどそれはまだ、土地や周囲との関係性から絶えず抜け出ていく疾走感や孤独感だったのかもしれない。コロナ禍の数年を挟んで出版された今作は、「わたし」そのものからも離れていく、思考の穴のような所から吹く風が額をかすめていくような詩集だった。(後略)(暁方ミセイ)

2023/1/23
後藤明 編『大林太良 人類史の再構成をめざして』、図書新聞2023年1月21日にて紹介 大林太良 人類史の再構成をめざして
大林太良 人類史の再構成をめざして

本書は、日本を代表する民族学者大林太良(1929―2001)の著作を編者の後藤明が注意深く選択し、収録したアンソロジーである。大林の中心的な研究テーマは、日本の起原と日本文化の形成そして日本を含む世界各地の神話である。研究の対象地城は、日本を起点として広くユーラシア大陸から北アメリカ大陸、さらにオセアニア、アフリカにまで広がりを見せる。大林の研究の特徴は、特定の習俗や神話などの文化要素がどのような分布をしているかを把握した後で、それらの伝播の経路や、それらが存在している地域間や民族間の歴史的関係性を読み解くという手法にある。ここでは、日本文化形成論と神話研究の一部分について紹介したい。(略)(岸上伸啓)

2022/8/30
黒古一夫 著『「焼跡世代」の文学』、毎日新聞夕刊2022年8月29日にて紹介 「焼跡世代」の文学
「焼跡世代」の文学

(前略)戦後の文学史は、第1次戦後派→第2次戦後派→第三の新人→内向の世代――と続き、その後、黒古さんの世代に当たる団塊世代に連なるとされる。だが団塊世代が最も影響を受けたのは、先行する内向の世代ではなく、この流れの外にある「焼跡世代」だと説く。(中略)古井由吉や大庭みな子ら「内向の世代」が個人の内面や心のメカニズムを掘り下げたのに対し、これとほぼ同世代の「焼跡世代」は自分と外部の関係に焦点を当てた。戦後、政治運動(革命運動)に関わりを持ち、神経形成の根幹に政治があることに「焼跡」と「団塊」のつながりがあるという。(中略)本書の校正は今春、ロシアによるウクライナ侵攻の報道に接しながら行われた。「誰がどちらを支援したとか、代理戦争をあおるニュースが多いように見えるんです。なんとかして戦争をやめよう、戦争で死ぬことは絶対に認めないと言い続けることが大事だと思っています」

2022/8/9
黒古一夫 著『「焼跡世代」の文学』、図書新聞2022年8月6日にて紹介 「焼跡世代」の文学
「焼跡世代」の文学

なぜ、今、「焼跡世代」の文学なのか。本書はその世代の作家として高橋和巳、小田実、真継伸彦、開高健をとりあげ、いかに戦争が彼らの原点になっているか。十代半ばで「敗戦」を迎えた人間のかかえる闇の深さを説き、「戦争・戦後体験の文学」について論究している。(中略)いずれも四人は季刊「人間として」(創刊・一九七〇年三月、発行・筑摩書房)の編集同人で、各々の少年期の敗戦・焼跡・闇市体験や挫折の左翼体験により加わり、上っ面の仲間ぼめでなく辛辣な相互批判を行うべく精神共同体として出発した。祷りと希望への黙示録を物狂おしく開示していくのである。本書はその根源的な葛藤の構図を読みとり、語りなおす注目すべき論攷で、血の通った人間像が底知れない凄味をおびて浮かびあがる。(後略)(作家・歌人・太田代志朗)

2022/7/20
金子遊 著『マクロネシア紀行 「縄文」世界をめぐる旅』、クロスワードキング2022年9月号にて紹介 マクロネシア紀行
マクロネシア紀行

一万年以上もの間、自然と共存共生してきた縄文人は、スンダ大陸棚が沈む前、東アジア大陸棚の海岸を伝って日本にやってきたという。著者は、この人類移動のネットワークとなる島々、サハリン、日本列島、琉球弧、台湾、フィリピン、ミクロネシア、インドネシア、ポリネシアを「マクロネシア」と呼び、それらをめぐって、見て聞いて、「どれが誰のものであるかわからないような重層性を持っていること」を実感する。(後略)(「王様の本棚」おかひろこ)

2022/6/17
金子遊 著『マクロネシア紀行 「縄文」世界をめぐる旅』、読書人2022年6月17日にて紹介 マクロネシア紀行
マクロネシア紀行

(前略)マクロネシアとは、環太平洋地域を結ぶ島々のネットワークを指しており、サハリン、日本列島、琉球弧、台湾、フィリピン、ミクロネシア、インドネシア、ポリネシアを含んでいる。マクロネシアをめぐる旅路の記録である本書は、吉本隆明の詩的想像力に寄り添いながら、縄文人の旅路をたどりなおす試みである。しかし、著者は見果てぬ古代へのロマンを求めるだけでなく、植民地主義の遺産に向き合い、思索を続ける。本書が紀行文としてマクロネシアを立体的に捉えることに成功しているのだとすれば、それは現代から古代へと一足飛びに想像の翼をはばたかせていくのではなく、入植、強制移住、開発のような暗い側面があるマクロネシアの近代を真摯に見つめる作業をともなっているからだと評者は考える。古代人の旅路、近代の動乱、そして現代を生きる市井の人々。これらが交差し、庶民たちのマクロネシアの相貌が浮かび上がる。(後略)(近藤祉秋)

2022/6/7
黒古一夫 著『「焼跡世代」の文学』、上毛新聞2022年6月7日にて紹介 「焼跡世代」の文学
「焼跡世代」の文学

(前略)「文学は時代を刻印する」と黒古さん。親交のあった小田実さんは、小説内で女性が香水を付ける描写を書くために、香水の専門書を3冊読み込んで文章に表したという。「世俗を学んでいるのが文学作家」と語り、近代史においては日本史という科目で知識を入れるより、文学の側面から時代を知ると立体感が生まれるとして、4人の作品に触れることを勧める。「無辜の民が死ぬのが戦争」という強烈な現実を目の当たりにした4人の根底にある共通のメッセージは「殺すな」だと強調する。「大戦、そして敗戦を経験して初めて身に付けた価値観」の下で生み出された4人の作品を丁寧に読み解いた。(後略)

2022/4/20
佐藤公一 著『ゴッホを考えるヒント 小林秀雄『ゴッホの手紙』にならって』、月刊美術2022年5月号にて紹介 ゴッホを考えるヒント
ゴッホを考えるヒント

画家のゴッホは数多くの手紙を残している。またこの手紙について、文芸評論家の小林秀雄は『ゴッホの手紙』を書いた。本書は小林秀雄がしたように、ゴッホが残した手紙からその生活や思考を推測、推論したもの。小林秀雄好きが高じてゴッホを文芸として読んだということのよう。

2022/3/5
畠山篤 著『万葉の紫と榛の発想』、朝日新聞群馬県版2022年3月5日にて紹介 万葉の紫と榛の発想
万葉の紫と榛の発想

「紫」は王侯貴族の高貴な染色文化ではなく、一般民衆の信仰と恋愛の習俗を反映しているという。万葉集の「紫」の歌17首を中心に、「色衣」の歌から、古代民衆の習俗を探ったのが本書です。(中略)染料に用いられた「榛」(現代では「はん」「はんのき」ともいう)については万葉歌14首を中心に述べ、「紫」と同様に「神衣・恋衣」と関連する恋愛感情の諸相をまとめています。(中略)渋川市の伊香保の榛の歌2首をとりあげ、「恋衣の染料の榛には、女人という意味が重なる」との指摘は、「榛名山は愛しい人のシンボルでは」と、思わず万葉ロマンの旅へ、私は誘われました。(吉永哲郎)

2022/1/29
水上勉 著『若狭がたりU わが「民俗」撰抄』、週刊読書人2022年1月29日にて紹介 若狭がたりU
若狭がたりU

(前略)この『若狭がたりU』は、エッセイだからこそか、作りものを一切拒んで匂わせない説き伏せる力と、哀しさを底に引きずる魅力を持っている。水上勉の生きた十代から二十代前までの、京都に近いのに生き残りに遅れた若狭の、風土の生生しさ、社会の規範の奇妙な遅れ、滅び寸前の人情の濃さが再発見、いや、発見できる。爺や婆を捨てる事実のあまりに切ない話、ああ間引きの因習、老いた人人への冷たい扱いと、今を生きる大老人の俺には、が、ごーんと迫る。(後略)(作家歌人・小嵐九八郎)

2022/1/28
水上勉 著『若狭がたりU わが「民俗」撰抄』、図書新聞2022年1月28日にて紹介 若狭がたりU
若狭がたりU

このところ、戦後の一時期(一九五〇年代〜六〇年代)「社会派推理作家」の寵児と持て囃された松本清張や水上勉の文学を総体として「見直し=捉え直し」する作業が盛んに行われている。理由は、おそらく彼らの文学について冠せられた「社会派」の辞が如実に示すように、「純文学」と「大衆文学」の垣根が取り払われた現代文学の世界にあって、彼らの文学に近代文学の黎明期から続く「人間(個)」と「社会」との関係を凝視する姿勢が明確にみられるからである。言い方を換えれば、「豊かさ」を満喫する代償として「指針=ビジョン」が溶解したようなこの時代にあって揺曳せざるを得ない読者の「不満」を掬い上げ、魅了するところに彼らの文学の存在価値がるということである。(略)(黒古一夫)

2022/1/19
水上勉 著『若狭がたりU わが「民俗」撰抄』、福井新聞2022年1月19日にて紹介 若狭がたりU
若狭がたりU

おおい町出身の作家水上勉(1919〜2004年)の作品の根底には、古里での原体験があるとされる。寒村の貧しい暮らし、荒波寄せる日本海と深い森への畏怖、そこから生まれた習俗と民話の数々。水上文学のエッセンスとなっていく、幼少期の脳裏に刻まれた11の逸話を収めた「若狭がたりU わが『民俗』撰抄」が刊行された。(略)(伊藤直樹)

2021/12/18
川島秀一 編『宮田登 民俗的歴史論へ向けて』、京都新聞2021年12月18日にて紹介 宮田登 民俗的歴史論へ向けて
宮田登 民俗的歴史論へ向けて

著書「ミロク信仰の研究」で注目され、歴史と民俗を横断する歴史民俗学や、都市民俗学の分野で活躍した学者、故宮田登さんの論考やエッセーをまとめた。大量な文章群の中から、「都市と現代」「災害と疫病」「ケガレと差別」「妖怪」などのテーマに沿って十数点の文章を抽出。2000年に63歳で亡くなるまで「現代の民俗」を捉えようとした宮田さんの業績を振り返ることができる。編者は全国の漁師町で漁法や風俗の研究を続けてきた民俗学者。

2021/11/20
川島秀一 編『宮田登 民俗的歴史論へ向けて』、朝日新聞2021年11月20日にて紹介 宮田登 民俗的歴史論へ向けて
宮田登 民俗的歴史論へ向けて

海のかなたからやって来て、流行病をもたらす強力な「厄神」。でも、人々はただ恐れ、逃げまわっていたわけではなかった。「恐るべき神霊の力を認めたうえで、てい重に厄神を迎える。しかるのち、神を鎮撫しつつ、共同体の外部へと送り出す」「こういう巧妙な知恵ともいうべき発想は、主として江戸時代の都市の民衆によるものであった」と書いたのは、民俗学者の宮田登(1936〜2000)だ。この「祀り棄ての論理」を含む18編の文章で、民俗学と歴史学をつなぐ仕事の全体像に迫るアンソロジー「宮田登 民俗的歴史論へ向けて」が刊行された。川島秀一編。柳田国男が中心的な課題にしなかった「災害」や「疫病」をはじめ、差別、女性、都市の不安、流行神、妖怪などを広く見渡す。妖怪は「自らの存在理由を誇示せざるを得ない状況に立ち至っており、何らかの意味を人間に伝えようとしている」。そのメッセージをどう受けとるか。不可思議と切り捨てず理解しようとする、穏やかな顔を思い出す。(石田祐樹)

2021/11/10
正津勉 著『行き暮れて、山。』、聖教新聞2021年11月10日にて紹介 行き暮れて、山。
行き暮れて、山。

(略)正津は、山を詠って著名な詩人です。少年の頃にやっていた登山を、50歳近くなって、また始めました。本作の冒頭は、詩人のふるさとの山「白山」へ。15歳の初登頂から、実に三十数年ぶり。(略)登山家としても名高い生態学者・人類学者の今西錦司が、述べているそうです。「ただ山へ登るだけなのであるにもかかわらず、山へ登りつづけていると、自分がどことなく山川草木化してゆくような気が、しないでもない」正津はまだ、その境地いは至らないが、「自分を『自然の一部』と感覚すること。それならわたしにも少しわかるような気がしないでもない」。本来、人は自然と共に生きてきたのです。(作家・村上政彦)

2021/10/23
色川大吉 著『平成時代史』、図書新聞2021年10月23日にて紹介 平成時代史
平成時代史

(略)『平成――』と、“平成”にこだわって映るが、当たり前、著者は天皇制への真っ向からの批判者だった。当方は、この時代の小説を書こうといsて編年史があるので飛びついた――三十ウン年前は講談社から『二万日の全記憶』(全11巻)が出ていて実に助かったのだが、今のところこれほど詳しい本は出てない。然れど、色川大吉さんの「編年史」での、年年の事件、できごと、流行への考えに引き込まれ、やがて、新聞や雑誌へと載せた「ドキュメント」の独特の諸相への思いに魅かれ、う、う、参ってしまった。しかも“昭和史”と区別された“平成史”の世界史との対照まで記されている。若者よ、ここ、大事。若い人のみならず、そう、中高年も、読んだ方が……。(作家・歌人、小嵐九八郎)

2021/9/16
正津勉 著『奥越奥話 十六の詩と断章』、山の本2021年秋No.117にて紹介 奥越奥話 十六の詩と断章
奥越奥話 十六の詩と断章

古希を過ぎてなお単独山行を続ける詩人が、生い立ちから今日まで歩んだ風景を十六篇の詩と断章に綴った。すでに本誌に「遊山遊詠」として連載されたものだが大幅に加筆再構成されている。生い立ちの章を奥越奥話として九篇、それ以外の七篇は遊山遊詠の章となっている。ハチャメチャな人生模様。命の奥深さ、運命のままに生きる姿、そこに漂う悲しみ。変わらぬ正津ワールドの登場だ。(略)(安藤通男)

2021/7/28
正津勉 著『奥越奥話 十六の詩と断章』、福井新聞2021年7月28日にて紹介 奥越奥話 十六の詩と断章
奥越奥話 十六の詩と断章

大野市出身の詩人、正津勉さん(75)−東京都在住−にとって、古里は「当方が産声を上げるも、やがてはやむなく見捨てることになった、いまや恩讐の彼方の地」だという。自然豊かな奥越の風土と、そこで積み重ねた今は亡き人たちとの思い出。それらを詩と散文で記した新著「奥越奥話 十六の詩と断章」が発刊された。過去の記憶と現在の心境を行き来させながら、故郷への複雑な胸中を表現した。(略)

2021/7/6
正津勉 著『奥越奥話 十六の詩と断章』、ににん2021年夏号にて紹介 奥越奥話 十六の詩と断章
奥越奥話 十六の詩と断章

(略)「現代詩人」らは言葉を先鋭化させ、世の戦いの姿勢をとりながらも、それら全てへの自己懐疑を併せ持ち、「戦後」が失ってきたものに還ろうとする共通の性格をもつ。とりわけ正津勉氏は、土に結びついた人の生死(しようじ)に、つよく埋没する心を持っている。掉尾を飾りながらも(いや、だからこそ)、「現代詩」以前の混沌をつよく保持する詩人だ。この最新詩集を読めば、それはなおよく分かる。(木津直人)

2021/6/19
大島廣志 編『日本災い伝承譚』、図書新聞2021年6月19日にて紹介 日本災い伝承譚
日本災い伝承譚

(略)東日本大震災とそれに伴う必然的な原発事故から十年、コロナ禍の長びく最中に、日本の人人、とりわけ地方の人人はどう仲間に、子孫に、災害の酷さを、怖さを伝えて残そうとしたかの本だ。当たり前のように、江戸時代や明治維新後の語りがあるので“迷信”や“当てずっぽう”をも含む。が、切実な思いがある。コロナ禍の時宜も得ている。(略)(小嵐九八郎)

2021/6/11
小嵐九八郎 著『ここは何処、明日への旅路』、読書人2021年6月11日にて紹介 ここは何処、明日への旅路
ここは何処、明日への旅路

著書は、これまで一九六〇年代の後半から始まった「政治の季節=学生叛乱の時代」に、大学入学してすぐ「右も左も分からないまま」新左翼(過激派)の社青同解放派に加盟し、以後革命運動に従事するようになった男の物語を、体験(事実)と虚構を綯い交ぜにして二冊「書き下ろし」で上梓してきた。(略)そして、第三作目の本書は、一九八二年の梅雨時、三連発式改造銃を所持していた容疑で火薬取締法違反及び銃刀法違反で四年半を新潟刑務所で過ごした過激派(社青同解放派)の幹部地曳が出所した所から物語が始まる。物語は、その地曳が今や大学生になって神秘主義的宗教やオウム真理教へ近接するようになった一人息子をカルト集団から救抜すべく、空港建設反対を唱え続けている三里塚農民に学びながら新潟で農業をしているかつての同志に息子を預け、息子が立ち直り「新たな生活」に進む過程を詳細に描く一方で、あれほどまでに党派の活動に忠実であった主人公が、懊悩の末に党派を抜けると宣言するにたるまでを描いたものである。(略)(黒古一夫)

2021/4/23
綾目広治 著『小林秀雄 思想史のなかの批評』、読書人2021年4月23日にて紹介 小林秀雄 思想史のなかの批評
小林秀雄 思想史のなかの批評

今なお陸続と出る小林秀雄論の多くが、小林の絶対化と礼讃にある。その中にあって、本書は、小林批判の相対化を試みようとする一冊である。小林の読者や論者は、その断定的な言葉と論理的に曖昧な文章に幻惑され、主観的なイメージを各々作り上げてしまうと著者は言う。「読者は小林秀雄を読んでいるというよりも、自分の中にあるイメージを読んでいる」と。(略)

2020/12/20
窪島誠一郎 著『美術館随想』、月刊美術2021年1号にて紹介 美術館随想
美術館随想

村山槐多など夭折の画家の素描を集めた信濃デッサン館と戦没画学生の遺作を集めた無言館の創設者。その著述全5シリーズの3巻目。デッサン館開館から39年が経ち、新設された長野県立信濃美術館に収蔵品が移管され閉館するまでの日常を綴る。愛する作品を公共に託した偉業を尊敬する。

2020/11/14
富岡幸一郎 著『古井由吉論―文学の衝撃力』、毎日新聞2020年11月14日にて紹介 古井由吉論
古井由吉論

2月に82歳で死去した作家、古井由吉の作品世界を読み解いた評論である。非常に素早い出版と感じるが、「5年ほど前から少しずつ書いていた」と話す。「昨年、文芸誌で新たな連作が始まっていたので、こんなに早く亡くなるとは予期しなかった」(略)インタビューでは、古井氏自身が「小説の恐ろしいのはね、後から見ればどこかで預言のようなことをしているところにある」と語っていた。「古井さんの作品は、『源氏物語』や『徒然草』のように、長い歴史の時間の中で読者を獲得していくだろう」。古井文学評価の揺るぎない出発点となる本である。

2020/9/11
黒古一夫 著『「団塊世代」の文学』、読書人2020年9月11日にて紹介 「団塊世代」の文学
「団塊世代」の文学

本書は、世代論的なアプローチをバックボーンとしつつ、若者として「七〇年前後の学園闘争=政治の季節」を生きた「団塊世代」の作家たちによる文学の諸相を、「能動的な姿勢」として読み解いたものである。著者は「団塊世代」の作家が、社会の矛盾と不条理に立ち向かおうとした際の「原点」を、一九七〇年前後の学生運動という政治参加の体験に置く。著者にとって「団塊世代」の文学を論じることは、現代文学において肥大化する「受動的な姿勢」への批判として意味づけされている。その意味で本書は、「団塊世代」文学論であり、現代文学批判である。(略)(李承俊)

2020/8/29
黒古一夫 著『「団塊世代」の文学』、図書新聞2020年8月29日にて紹介 「団塊世代」の文学
「団塊世代」の文学

(略)序論にもあるように「団塊世代の文学」に対する著者の定義は、具体的には中上健次、立松和平、三田誠広、青野總、宮内勝典、村上龍、津島佑子、増田みず子、高橋源一郎、島田雅彦、桐山襲、そして池澤夏樹らにも及ぶ。その特質として第一にあげられるのは戦争からの「帰還者」の子女たちということになる。そうした出発点からも明らかなように、彼らは「既成秩序」への違和感を抱きつつ、「もう一つの世界」の可能性を求め続けた存在である。それは七〇年代前後の学園闘争期に折しも青春を迎え、時代の反体制運動に共鳴する姿勢として明らかになった。彼らは〈近代〉に対する疑義を根底に潜め、一方で「戦後文学の能動的姿勢」の血脈を確実に継承する存在でもある。こうした時代への強い「異議申し立て」の感情は、なによりも著者自身の青春と強い紐帯で結ばれながら、今も熱誠な感情として息づいているところに、本書の読みどころもあると言えるだろう。これは「あとがき」に言う「「団塊世代」作家たちと全く同じ時代を生き、同じような「体験」をしてきた」という言に明らかな如く、時代を貫き「今日まで生き抜いた者の使命」として現代を撃つ手強い「紙つぶて」となって脈打っている。(略)(中山弘明)

2020/8/1
黒古一夫 著『「団塊世代」の文学』、図書新聞2020年8月1日にて紹介 「団塊世代」の文学
「団塊世代」の文学

八百字であれこれ言うのは気が引けるインパクトと執着力と分析のパワーのある文学評論に出会った。(略)文学愛好者に限らず、近現代史を学ぶ人が読むと団塊以前と以後の時代の波まで解る。(小嵐九八郎・作家歌人)

2020/7/7
黒古一夫 著『「団塊世代」の文学』、上毛新聞2020年7月7日にて紹介 「団塊世代」の文学
「団塊世代」の文学

学園闘争や全共闘運動が盛んだった60年代末〜70年代初めに青春時代を送り、80年代に地歩を固めた作家として、池澤夏樹さん、津島佑子さん、立松和平さん、中上健次さん、桐山襲さん、干刈あがたさん、増田みず子さん、宮内勝典さんを紹介。それぞれの作品から、東日本大震災の犠牲者や核への認識、原住民差別といった社会問題に対する作家の考えを読み解いている。黒古さんは取り上げた作家について「学生運動に関わった体験が表現の根拠になっている」と分析し、歴史と自分の関係を追い求めた「求道の文学世代」と位置付ける。「同世代だけでなく若い世代にも読んでもらい、人間の生きるリアルな世界を感じ取ってほしい」と話している。

2020/3/17
森内俊雄 著『一日の光 あるいは小石の影』、日刊ゲンダイDIGITAL版2020年3月17日にて紹介 一日の光 あるいは小石の影
一日の光 あるいは小石の影

3月×日 この1ヶ月余り、森内俊雄著「一日の光あるいは小石の影」(アーツ・アンド・クラフツ出版委員会 3800円+税)を枕許に置いている。著者、84歳。帯に「三十余年のエッセイ集成」とある。190篇ほどの散文を収める、480頁余りの大冊である。毎晩、眠る前に少しずつ気ままに頁を繰っている。そこにはなにか手に取り読めと促すものがあるかだ。「わたしは昔風の差別用語的表現を用いると、売文の徒である。ところが量産ができず、本は売れないから、ひっそりと細々と暮らさざるを得ないでいる」売文の徒でももっと下の小生。ことし後期高齢者になる。そろそろ老い支度を考えるころ。バカみたい身体だけは丈夫なのだけど。金が無くいささか気も弱りつつある。ボケも恐ろしい。などという萎れぎみの心にこの書がよく効くのである。(略)(正津勉・詩人)

2020/2/3
森内俊雄 著『一日の光 あるいは小石の影』、東京人2020年3月号にて紹介 一日の光 あるいは小石の影
一日の光 あるいは小石の影

帯に「三十余年のエッセイ集成」とある。ここには、著者四十代から七十代後半の、大河のような時間が流れている。だが書かれてあるのは、ある日のある一瞬。人生というものが、そういうものの集積で出来上がっていることを実感させられる。その間、大きく変わったものもあっただろうが、通読すると本書には、「貫く棒の如きもの」が感じられる。それは一日一日を確かに生きた者が、ある日、ふと、振り返ってみたとき、来た道に長く引かれる、自身の影のようなものかもしれない。(略)(小池昌代・詩人、小説家)

2020/1/12
森内俊雄 著『一日の光 あるいは小石の影』、毎日新聞2020年1月12日発売号にて紹介 一日の光 あるいは小石の影
一日の光 あるいは小石の影

「三十余年」のあいだに発表された百九十篇ほどの散文がならぶ、伽藍のような大著である。全体は四章からなり、編年ではなく主題が互いに近接するよう構成されていて、重層的な相互の響きあいが美しい。最も大きな部分を占めるのは、聖フランシスコ修道会の機関誌『聖母の騎士』に二〇〇八年七月から二〇一八年九月まで、月に一度書き継がれた短い散文を収める第三章。あとがきには、まずここから目を通していただきたいと記されているのだが、その勧めに従わず、冒頭から順に読んでいっても、著者の来歴と現在地は十分に把握できる。(略)(堀江敏幸評)

2019/11/27
正津勉 著『京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記』、読売新聞夕刊(大阪)2019年11月27日発売号にて紹介 京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記
京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記

京都の詩人を取り上げた新刊の副題が「一九六〇年代詩漂流記」。60年代詩人の「しんがり」にいた正津勉さんが、それぞれ濃淡はあるが、若い日に交友を結んだ年長者5人について書いた。今から見れば「コップの中の嵐」かもしれないが、当人たちには「疾風怒涛」の時代だったという。(中略)若者たちの政治の季節だった60年代、詩を読むということも普通に行われていた。それが今、政治に参加する若者も、詩を読む若者も珍しがられる。「60年代は日本だけでなく、アメリカでもフランス、ドイツでも、旧体制と新しい世代がギシギシとやり合った。そういう時代に詩は読まれるんです。韓国の若者は今もギシギシやっていて、だから詩を読む。今の日本の若い人たちはツルッとして、詩は読まなくなったけれど、それはつまり、いい時代なんです」

2019/11/22
正津勉 著『京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記』、週刊読書人2019年11月22日発売号にて紹介 京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記
京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記

「閉鎖京都系」詩人たちの詩的光芒―60年代の京都で疾風怒涛を体験する物語。読むほどに、言葉が突き刺さる一冊である。60年代京都といえば、学生運動、フォークなど若者文化の盛り上がり、つまり熱い時代。それを背景にしながら論じるのは、深く影響を受けた天野忠、大野新、角田清文、清水哲男、清水昶の五詩人とその周辺だ(ゼミ担当教員だった鶴見俊輔も詩人として登場する)。同志社大学ですごした64年〜69年を中心に、彼らの活動が評伝的に紹介され、それはまた正津勉の詩人としての出発でもあった。(略)

2019/9/29
正津勉 著『京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記』、日刊ゲンダイDIGITAL版2019年9月29日にて紹介 京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記
京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記

1964年4月、同志社大学に入学した著者が出会ったのが、5歳上で2学年上の清水昶。詩人、清水哲男の弟だ。昶の影響で、谷川雁を入り口に現代詩に触れる。時あたかも吉増剛造、天沢退二郎、鈴木志郎康らの「60年代詩人」たちが群雄割拠していた。しかしそれはあくまでも「首都のニュース」で、著者が暮らしていた京都の詩の世界はそうした動きとは違う独特の詩的交友圏―著者が名付けるところの「閉鎖京都系」があった。本書は著者と交友のあった詩人たちを取り上げ、60年代の閉鎖京都系の詩的世界を概観したもの。(略)

2019/9/28
正津勉 著『京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記』、東京新聞夕刊2019年9月28日にて紹介 京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記
京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記

1964年から69年まで京都にいた詩人の著者のごく私的な回想録。天野忠、大野新、角田清文、清水哲男、清水昶の兄弟が、年譜的な事跡と詩や文章の引用でリアルに浮かび上がる。現代詩が広く読まれた時代と場所が手に取るように分かる。

2019/9/27
黒古一夫 著『黒古一夫 近現代作家論集』、週刊読書人2019年9月27日発売号にて紹介 黒古一夫 近現代作家論集
黒古一夫 近現代作家論集

(略)黒古一夫は作家論を軸に多くの文芸評論を書き、文学研究をつづけてきた。最初の著作が書き下ろし作家論『北村透谷論 天空への渇望』(1979年)であったから、近現代作家論集全6巻はこの40年間の作家論のベスト・コレクションになっている。北村透谷の書き下ろしが1979年であったのは、注目に値しよう。変わらぬ社会と政治が作家をとらえはじめた時代の入り口で、黒古一夫は、政治的挫折を文学的な出発へと転じた近代最初の文学者北村透谷を称揚したのである。作家論が成立しがたくなり、浸然としたテクスト論や文化研究へと文学論の主流が移っていく時代に、きわめつきの作家論をつきつけ黒古一夫の文芸評論は始まったといってよい。以後40年、黒古一夫の作家論の姿勢はいささかのブレもなく、むしろ確信にみちたものとなり、この近現代作家論集全6巻に結実したことになる。(略)(高橋敏夫)

2019/9/16
黒古一夫氏、朝日新聞「大江健三郎」記事(2019年9月16日付朝刊)でインタビュー 黒古一夫 近現代作家論集
黒古一夫 近現代作家論集

(略)28歳で大江は父になる。長男の光さんは生まれながら頭部に障害があった。翌年にかけて発表した「空の怪物アグイー」と「個人的な体験」は、ともに障害児との日々を描く。前者は子どもの命が失われ、後者は救われる。文芸評論家の黒古一夫さんは「赤ん坊を殺す選択をしていたかもしれないという闇まで潔く表現した」と、大江の覚悟の有り様を評価する。「社会的弱者との共生」が大江文学の重要な柱の一つとなった、という。(略)

2019/7/28
富岡幸一郎 著『生命と直観―よみがえる今西錦司』、中日新聞2019年7月28日発売号にて紹介 生命と直観―よみがえる今西錦司
生命と直観―よみがえる今西錦司

とてつもない出来事に襲われたとき。言語に絶する悲劇に見舞われたとき。「想定外」などという言葉を、誰が言い出したのか。なんとも自分には、専門分化した壁を作って無責任に逃げている言葉にしか思えないのだ。想定する、ということ自体が不遜ではないか。(中略)この驕りと虚妄の時代において、今西の生物学が、新たな重要な光となることを示した。(中略)人間も含めて「すべての生物が、どれもこれも、みなひとしく設計主」となって、自然はその体系化を完成させていたというのに、科学と経済主義が暴走した。その犠牲がわれわれ現代人なのだ。いかに、生きるか、考えるかをめぐる絶好の書。その悲しみは人間だけのものではない。だから、言葉にできなくなる。(藤沢周・作家)

2019/7/2
黒古一夫 著『黒古一夫 近現代作家論集』、上毛新聞2019年7月2日発売号にて紹介 黒古一夫 近現代作家論集
黒古一夫 近現代作家論集

(略)黒古さんは「批評家活動の中間報告。多くの県民のみなさまに知ってもらえれば」と話している。(中略)全共闘、安保闘争など1970年前後の政治の季節に「地方大学の一学生として加わった者の責務を果たそうと意識し続けた40年間だった」と振り返る黒古さん。広島、沖縄を書いた大江さん、長崎で被爆経験のある林さんなど、作家の生い立ちや背景を含め作家像を論じ続けた。今回、新たに付した「うしろがき」では、作家との交流や執筆当時を振り返るエピソードを盛り込んだ。(略)

2019/5/5
呉恵升 著『石川達三の文学―戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡』、北海道新聞2019年5月5日発売号にて紹介 石川達三の文学
石川達三の文学―戦前から戦後へ、「社会派作家」の軌跡

(略)本書のポイントは、戦前の『生きてゐる兵隊』筆禍事件によって反戦作家として認識されていた作家像を、積極的な戦争協力の側面から位置づけしたことであり、石川の全貌を実証的に明らかにする。過去の研究や評論で、石川の誤った作家像が形成されたのは、戦争協力の反省なき変節がしっかりと位置づけられなかったからだ。本書は時代の流れと社会の動きのなかで、文学はどのようにあるべきか、を示唆する。文学者が考えるべきテーマだ。たとえ国家権力の弾圧に信念を曲げたとしても、嵐が過ぎ去った後の振る舞いには自戒や慎み深さがなければならぬ。文学とは生き方であり哲学でもあるのだから。いまの時世に一番求められることである。警鐘を鳴らす一冊だ。(横尾和博・文芸評論家)

2019/4/3
谷川俊太郎 著『空を読み、雲を歌い』、朝日新聞 群馬県版2019年4月3日発売号にて紹介 空を読み、雲を歌い
空を読み、雲を歌い

毎月末水曜日の本紙夕刊に、谷川俊太郎さんの書き下ろしの詩が掲載されていました(4月からは原則第1週掲載)。その2月は「幻村」で、第4連と最終連は「冷たい宇宙の隅っこか 酷い歴史の吹き溜まり? ここは一体どこなんだ 春ともなれば土筆が顔出す 私はいまここ東京日本で、 幻村のサイトを探す。」と表現されています。この詩で詩人が狙ったものは「詩の中で架空の村を現実の存在みたいにつくること」。短い言葉で場面を描き、「蜃気楼みたいな村のイメージ」を描こうとしたとの解説が付いています。本書はこの「幻村」の源流を旅する詩集ではないかと感じます。(略)(「郷土ゆかりのほん」吉永哲郎・文学研究)

2019/3/22
川島秀一 編『渋沢敬三 小さき民へのまなざし』、山陰中央新報 文化面2019年3月22日発売号にて紹介 渋沢敬三 小さき民へのまなざし
渋沢敬三 小さき民へのまなざし

明治大正期の実業家渋沢栄一の孫で、日銀総裁や大蔵大臣を務めた渋沢敬三(1896〜1963年)は、財界での活躍の一方、民俗学研究に力を注ぎ、宮本常一らを支援した。日本の民俗学を切り開いたその業績と人物像を伝えようと、著作の抄録と、現代の研究者5人の論考を収録。(中略)渋沢が気前よく大金を寄付したのは、宮本が語り手に出会えたことを自分のことのように喜んだからだった。本書では、強い絆で結ばれていた2人の師弟関係を描くとともに、旅を好んだ渋沢に思いを巡らせる。(略)(「話題の本」山本洋輔)

2019/3/13
正津 勉 著『ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水』、朝日新聞 群馬県版2019年3月13日発売号にて紹介 ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水
ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水

本書は没後90年記念で昨秋刊行された若山牧水の評伝です。帯の文章では「ザ・ワンダラー」に「歩く徒」をあてていますが、「ワンダラー」とは歩き回る人、放浪者、さすらい人のことをいい、西行・芭蕉や山頭火などが思い浮かびます。牧水を「濡草鞋者」(牧水が生い立ちをつづった「おもひでの記」で用いている)と位置づけ、生涯総歌数9千首を超える牧水の歌心の奥深にせまっています。(略)(「郷土ゆかりのほん」吉永哲郎・文学研究)

2019/3/9
小嵐九八郎 著『あれは誰を呼ぶ声』、週刊読書人2019年3月9日発売号にて紹介 あれは誰を呼ぶ声
あれは誰を呼ぶ声

60年代後半から70年代前半にかけて、世の中に騒乱が確かにあった。(中略)半世紀経って、そんな時代を論じたり回想したりする文章がちらほら出てきているが、内部にいた人間が何を考え、どんな生活をしていたのか、聞いてみせてくれたものは意外と少ない。本書は、小説という形をとりながら、その渦中にいた学生二人と一人の女性を中心に、その実態を垣間見せてくれる。(略)

2019/1/4
小嵐九八郎 著『あれは誰を呼ぶ声』、週刊読書人2019年1月4日発売号にて紹介 あれは誰を呼ぶ声
あれは誰を呼ぶ声

9年前に62歳で亡くなった1947年生まれの立松和平は、早稲田大学における学生運動(全共闘運動)体験を基にした長編『光匂い満ちてよ』(1979年 新潮社刊)を完成させた直後のエッセイ「鬱屈と激情」で、「ぼくの精神形成の多くは、七〇年前後の学園闘争におうところが大きい」と書いていた。立松は、その後も「七〇年前後の学園闘争」にこだわった『光の雨』(98年)などの作品を書き続け、思い半ばに倒れたが、何故1960年代後半から70年代初めの「政治の季節=学園闘争」にこだわり続けたのか。立松はいくつかのエッセイや『光の雨』で、それは「世代の責任だから」といった主旨の発言をしていた。(略)(評・黒古一夫)

2018/12/8
正津 勉 著『ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水』、図書新聞2018年12月8日発売号にて紹介 ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水
ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水

わたしたちが若山牧水(1885〜1928年)について、まず想起することは、『みなかみ紀行』に象徴される旅する歌人ということになる。書名の“ワンダラー”に、帯文では、“歩く徒”という言葉をあてている。ワンダラーには歩き回る人、さまよう人、放浪者といった意味があるようだが、わたしなら漂泊する歌人といいたい気がする。(略)没後90年という節目で牧水に関する評伝を著した詩人である著者は近年、路通、碧悟桐、普羅といった俳人や山にかかわる表現者たちをめぐる著書を刊行している。いま、牧水の評伝(と括るにはもっと豊饒なものを含んでいるが)を著わすのは必然的なことのように思われる。(略)

2018/12/4
小川直之 編『折口信夫 死と再生、そして常世・他界』、読売新聞2018年12月4日発売号にて紹介 折口信夫 死と再生、そして常世・他界
折口信夫 死と再生、そして常世・他界

国文学者で作家、歌人・釋迢空の名でも活躍した折口信夫の静かなブームが続いている。昨年の生誕130年を過ぎ、今年に入ってからも関連書籍の刊行が相次ぐ。日本文化や文学、詩そのものの源流に迫る多彩な営みが、グローバル化により世界の文化の均質化が進むように見える時代に改めて見直されている。(略)

2018/11/25
野見山暁治 著『野見山暁治 全版画[普及版]』、Leaf2018年11月25日発売号にて紹介 野見山暁治 全版画[普及版]
野見山暁治 全版画[普及版]

文化勲章受章洋画家による、初期から現在までの版画作品305点を収録。ふたば書房御池ゼスト店店長・清野さん「ことしは自分の中での『野見山イヤー』なのです。」

2018/11/19
小嵐九八郎 著『あれは誰を呼ぶ声』、北羽新報2018年11月19日発売号にて紹介 あれは誰を呼ぶ声
あれは誰を呼ぶ声

著者は早稲田大学時代から学生運動・新左翼運動にかかわり、投獄生活を送った。その経験を基にした「刑務所ものがたり」で1995年に吉川英治文学新人賞を受賞。さらに新左翼運動の中で命を落とし、あるいは自死した27人の周辺を取材し、挽歌ともいえるノンフィクションエッセー「蜂起には至らず―新左翼死人列伝」を著した。その人でなければ、本作は生み出せなかったといえるだろう。(略)

2018/9/28
正津 勉 著『ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水』、週刊読書人2018年9月28日発売号にて紹介 ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水
ザ・ワンダラー――濡草鞋者 牧水

(略)「濡草鞋者」という聞きなれない言葉は、牧水自身が生い立ちを綴る「おもひでの記」の15章で使っているという。少年牧水(若山繁)の貧しい家には鉱山を探す山師や、流浪者、食いはぐれた旅役者など敗残者たちがいつも寝泊りし、「濡草鞋を脱ぐ」といっていたのだそうである。少年はそうした人々を見ながら世間と言うものへの空想を膨らませていた、と書いている。それは歌人としてではない文士としての素養を育てることにもなったのではないだろうか。(略)

2018/6/28
富岡幸一郎 編著『西部邁 自死について』、週刊新潮2018年6月28日発売号にて紹介 西部邁 自死について
西部邁 自死について

今年1月に衝撃的な自死を遂げた西部邁。死をめぐる深い省察は数十年に及ぶ。(中略)   衝動的ではなく、「意図的な自死」だった西部。妻の死と自らの死の関係についても語っている。

2018/6/10
嵐義人 著『余蘊弧抄 碩学の日本史余話』、歴史研究2018年6月号にて紹介 余蘊弧抄 碩学の日本史余話
余蘊弧抄 碩学の日本史余話

「書かざる大家」という言葉がある。
 学問一筋で、知識も教養も脱きんでているが、書物という形を世に遺していない学究をいう。嵐義人先生もその一人。(中略)
 本書には、「国立教育会館通信」「神社新報」に連載されたものや、筆者が手がけた「歴史読本事典シリーズ」に寄稿されたエッセイなど比較的一般向けのものを収録した。(略)(評・井筒清次)

2018/5/26
鈴木ふさ子 著『三島由紀夫 悪の華へ』、産経新聞2018年5月26日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
三島由紀夫 悪の華へ

 三島が少年期に邂逅して以来、生涯その魅惑に憑かれたオスカー・ワイルドの『サロメ』。本書はワイルドの専門家でもある女性批評家による、これまでにない鮮烈かつ優美な三島伝である。
 三島文学の本質としての「手弱女ぶり」を、作品と生涯を重ねて浮きぼりにした、作家没後のまさに新世代による新たな三島論。(略)(評・富岡幸一郎=文芸評論家)

2018/5/08-12

富岡幸一郎 編著『西部邁 自死について』、日刊ゲンダイ2018年5月8-12日付「流されゆく日々」にて紹介

西部邁 自死について
西部邁 自死について

 『西部邁 自死について』 (富岡幸一郎編著/アーツアンドクラフツ刊)を読むと、この著者がずいぶん早くから「死」について考えていたことがわかる。生涯に共著を含めて200冊をこえるという著書の仕事のなかから、死生観を中心に編集された新刊だが、はじめて接する文章も多く、さまざまに共感したり首をひねったりするところの多い刺激的な一冊だった。(略)(老いと死をみつめて 1-5、五木寛之)

2018/4/28

水田宗子、小林富久子、長谷川啓ほか 著『現代女性文学を読む』、図書新聞2018年4月28日付けにて紹介

現代女性文学を読む
現代女性文学を読む

 本書は「〈山姥たちの物語〉II 現代女性文学を読む」と題して行われた「城西エクステンション・プログラム 文学」講座を活字化したものである。(中略)また学生たちに女性作家の作品を紹介するという側面も強く感じられ、物語の内容などが細かく説明されているので、作品を読んでいない読者にも理解しやすいつくりになっている。(略)

2018/4/05
水田宗子、小林富久子、長谷川啓ほか 著『現代女性文学を読む』、ふぇみん第3183号にて紹介 現代女性文学を読む
現代女性文学を読む

 本書の山姥は、人を喰い殺すような鬼女ではなく、山奥に一人住む生き残りの達人としてイメージされ、女性に課せられた。規範や制約を超越して、新たな生き方を模索する日本女性の原型を象徴する存在とされる。(中略)
 現代日本女性文学の多様性と力強さ、フェミニズム/ジェンダー批評の今が体感できる。

2018/4/01
金子 兜太 著『日本行脚俳句旅』、毎日新聞2018年4月1日付け「昨日読んだ文庫」にて紹介 日本行脚俳句旅
日本行脚俳句旅

 四年前、小生の構成で、兜太さんの句文集『日本行脚俳句旅』(アーツアンドクラフツ)なる一著を上梓した。つづく企画もあった。それがもう陽の目を見なくなった。(中略)
 兜太さんは、力づよく、泥っぽく、野太いのだ。それはどうしてなのか、その出が秩父の山がつ、であるからなのだろう。(略)(評・正津勉=詩人)

2017/11/09

水上勉 著『若狭がたり わが「原発」撰抄』、大分合同新聞2017年11月9日付にて紹介

若狭がたり
若狭がたり わが「原発」撰抄

 「水上さんが存命なら日本のこの状況を何と書くでしょう」。詩人の正津勉さん(71)は東京・高田馬場の喫茶店でこう話し始めた。水上は「原発銀座」と呼ばれる福井県おおい町出身。ふるさとに次々と建設される原発を憂いて作品を書きためた。
 「福島第1原発の事故は6年たって急速に忘れ去られていまいか。水上さんの原発に対する発言を読みたくてエッセンスをまとめました」と正津さん。今年3月に「若狭がたり わが原発撰抄」(アーツアンドクラフツ)を発刊した。(略)

2017/11/03
窪島誠一郎 著『愛別十景――出会いと別れについて』、週刊読書人2017年11月3日付にて紹介 愛別十景
愛別十景――出会いと別れについて

ここに描かれている十篇の作品は、文学者や歌人、俳人たちの人生の出会いと別れを描いたもので、妻や弟子、母と息子、愛犬との別れなど、ともにこの世を生きた人々のことが綴られている。作品の底には「愛別離苦」や「生離死別」、あるいは「牽衣頓足」といった感情が流れている。(中略)誰のために生きるのかと改めて問わせる好著だった。(評・佐藤洋二郎=作家)

2017/10/29
窪島誠一郎 著『愛別十景――出会いと別れについて』、信濃毎日新聞2017年10月29日付にて紹介 愛別十景
愛別十景――出会いと別れについて

 上田市で美術館を営む練達の文章家が、傾倒する作家、歌人の「人生の別れ」のエピソードに光を当て、万感の思いを込めてつづった10のエッセーから成る。良寛と貞心尼に始まり、城山三郎さん、岡部伊都子さん、河野裕子さんらの伴侶との別れが描き出される。(略)

2017/8/10
青木裕子 著『軽井沢朗読館だより』、朝日新聞長野版2017年8月10日付にてインタビュー 軽井沢朗読館だより
軽井沢朗読館だより

(略)冬、雪が降ると街に出るのも必死の覚悟で、「今日はだめかもしれない」と思ったりしました。でも、ここにいると、いろんな発見があるのです。あたり一面凍ったような死んだような世界になっても、餌を置くと、すぐ鳥がやってくる。自分自身、生き物としての感性が研ぎ澄まされてくるような気がします。(略)

2017/7/23
青木裕子 著『軽井沢朗読館だより』、信濃毎日新聞2017年7月23日付にて紹介 若狭がたり
軽井沢朗読館だより

 NHKのアナウンサーとして活躍した青木裕子さんは2010年、定年退職後に北佐久郡軽井沢町に朗読館を開設した。長年の夢だった録音室を備え、80人ほど入るホールもある。(中略)
 朗読という営みを通して、人と人とがつながり、感動を分かち合う、その醍醐味が伝わってくる。朗読とは何かについて、青木さんが随所で書いている文章を読むと、プロの奥義に触れる思いがする。聴きたくなるか、やってみたくなるか。朗読の魅力に読者を引き込む一冊だ。

2017/7/08
水上勉 著『若狭がたり わが「原発」撰抄』、大法輪2017年8月号にて紹介 若狭がたり
若狭がたり わが「原発」撰抄

 人間の命を尊ぶ文学と、人の生命を蔑ろにする核(原発)、本書は両者が互いに相容れない存在であることを改めて私達に教えてくれる一書である。(評・黒子一夫=筑波大学名誉教授・文芸評論家)

2017/4/16
水上勉 著『若狭がたり わが「原発」撰抄』、しんぶん赤旗2017年4月16日付にて紹介 若狭がたり
若狭がたり わが「原発」撰抄

 水上勉の生地、若狭地方(福井県おおい町)は、山紫水明の磯辺だった。いまや東洋一の「原発銀座」に変貌、故郷の山は切り崩され、札束が乱舞し、人心も荒んでいた。(中略)
著者はチェルノブイリの大惨事以降、仕事の多くを反原発関連の執筆につぎこむようになる。
 その主な著述、エッセー24編、短編2編が本書に収録されている。著者が晩年、執念を燃やした選りすぐりの「脱原発」考である。(中略)
 命あるものすべてに仏心を示す大家・水上勉の真髄が光る反原発啓発の書である。(評・鶴岡征雄=作家)

2017/4/12
水上勉 著『若狭がたり わが「原発」撰抄』、福井新聞2017年4月12日付にて紹介 若狭がたり
若狭がたり わが「原発」撰抄

(略)寒村の暮らしを変えた原発とは、本当の豊かさとは何か。自身の魂の在りどころとした若狭の移りゆくさまを見つめながら、原発と共存することの意味を問い掛けている。(略)

2017/3/12
水上勉 著『若狭がたり わが「原発」撰抄』、東京新聞・中日新聞2017年3月12日付にて紹介 若狭がたり
若狭がたり わが「原発」撰抄

(略)3・11の福島原発事故の時、真っ先に話を聞きたいと思ったのは、すでに亡き水上氏だった。氏が故郷の若狭に林立した原発に批判的な思いを持っていたのは知っていたが、エッセイはともかく、小説で原発を取り上げていたことは知らなかった。長篇『故郷』と短篇「金槌の話」を読み、ようやく氏の原発への思いを少しは知ることができた。(中略)
二篇の小説と、原発以後の若狭の風土を描いた文書を収めた本書を読めば、水上氏が決して単純な反原発派でなかったことがよく分かる。そして、最も強靭な反原発派であったことも。(評・川村湊=文芸評論家)

2016/11/22
黒古一夫 著『立松和平の文学』、朝日新聞(群馬県版)2016年11月22日付にて紹介 立松和平の文学
立松和平の文学

 2010年に急逝した作家立松和平さんの「文学的盟友」として、30年近くにわたって併走した文芸評論家で筑波大学名誉教授の黒古一夫さんが集大成となる「立松和平の文学」を刊行した。「書くことは生きること」だった立松さんの作品世界に向き合った評伝的作家論になっている。(略)

2016/11/20
金子遊 著『異境の文学 小説の舞台を歩く』、毎日新聞2016年11月20日付にて紹介 異境の文学 小説の舞台を歩く
異境の文学 小説の舞台を歩く

 これまで映像作品や、映画論、そして民族誌的な評論で異彩を放っていた書き手による、初めての文学評論集である。著者の姿勢ははっきりしている。小説のテキストを丹念に読みながらも、場所にこだわった独自の「エスノグラフィー」(民族誌)的な姿勢で作品とその言語に向き合い、さらに多くの場合、自分が論じている文学を生み出した場所を自らも歩いてフィールドワークする(中略)
 この種のアプローチは現代では必ずしも斬新とは言えないが、かと言って、じつは近現代日本文学に関して本格的な成果を上げているものが多いわけでもない。その点で、これは比較的薄くてスマートな――「お洒落な」と言ってもいい――本であるが、文学評論に確実に新しいものをもたらす、一本しっかり筋の通った注目すべき書物になっている。(略)(評・沼野充義)

2016/11/19
黒古一夫 著『立松和平の文学』、東京新聞・中日新聞「大波小波」2016年11月19日付にて紹介 立松和平の文学
立松和平の文学

 文芸評論家と名のつく者で、同時代文学を主たる対象に評論を書く者は少ない。(中略)
 斬新な立松論で作家の信頼を得た黒古は、2010年の作家の死に至るまで、闘争、放浪、境界、足尾、戦争、いのち等のテーマから、最先端で奮闘する同時代作家としての立松を論じ続けた。(中略)
 はたして同時代作家と文芸評論家とのかくまでに濃密で永い関わりは、この二人で最後になってしまうのだろうか。(略)

2016/10/23
金子遊 著『異境の文学 小説の舞台を歩く』、東京新聞・中日新聞2016年10月23日付にてインタビュー 異境の文学 小説の舞台を歩く
異境の文学 小説の舞台を歩く

 近代日本の作家たちは海外の情景や人々にどう接し、向き合ったのか。留学や長旅という〈異郷〉の体験は、作品にどう結実したのか。日本では揺らぐことのない「自己」が「他者」の文化や言語に触れて、どんな表情を見せたのか。(中略)
 見えてきたものは、異郷の文化が想像力の源泉になる作家たちの姿や、日本語や日本文化がハイブリッドする様子だった。(中略)
 文学以外の人類学や民俗学や映像の要素を盛り込んで、文芸批評の枠組みを広げる取り組みといえるだろうか。(略)

2016/9/04
小嵐九八郎 著『彼方への忘れもの』、東京新聞・中日新聞2016年9月4日付にて紹介 彼方への忘れもの
彼方への忘れもの

『彼方への忘れもの』は、一癖も二癖もある全共闘世代の青春小説。激しく、熱く、愚かで、愛しい面々が登場し、こちらまでワクワクしてくる。
 乳児期に被爆体験を持つ主人公が、故郷の新潟・村上から、憧れの女性が近くに住む早大に入学。麻雀・仁侠映画、サークル、早大闘争、恋愛…と、一個の実存が世界に対して汗をかき、がむしゃらに戦う姿に、思わず泣き、笑う。この小説の背後にある時代もまた、主人公なのだ。(評・藤沢周=作家)

2016/8/29
大島廣志 編『野村純一 怪異伝承を読み解く』、東京新聞・中日新聞2016年8月29日付にて紹介 野村純一 怪異伝承を読み解く
野村純一 怪異伝承を読み解く

 全国各地の昔話や説話を精力的に集めた民俗学者の、怪異や妖怪をめぐるさまざまなエッセーを収録。口裂け女らが登場する〈都市伝説〉、山姥や鬼が出現する〈昔話〉、各地に口承で伝わる七不思議や百物語などの〈怪異民俗〉に分類し、妖怪や幽霊が跋扈する怪異伝承譚の誕生や、そこに潜む人の思いや世の姿を教える。

2016/8/19
小嵐九八郎 著『彼方への忘れもの』、週刊読書人2016年8月19日付にて紹介 彼方への忘れもの
彼方への忘れもの

(略)本書も、1960年代後半から始まる早稲田大学の学費値上げ反対・学生会館の管理運営権闘争(世に言う「早稲田を揺るがした一五〇日」)やその後の学生運動=学園紛争・全共闘運動と伴走したノンポリ(党派に属さない一般学生)を主人公とした物語という意味で、あの「政治の季節」から40数年経って書かれた、『僕って何』などの「全共闘小説」に連なる一作、と言うことができる。(中略)
 つまり、本書はあの「政治の季節」に青春を送った者の単なる「体験記・見聞記」、ノスタルジア(郷愁)を超え、あの時代を生きた者の「世代」的責任を問う物語になっているということである。そして最後に、評者の思い込みかも知れないが、本書からは「恋と革命」に生命を賭けたあの時代の「青春」=学生時代に比べて、就職できるか否かにばかり執心しているように見える現代の学生・青年は「軟弱」なのではないか、「強権に確執をかもす意識」(大江健三郎)が欠けているのではないか、と「憤怒」と「嘆き」を交えて問いかけている点にも本書の特徴がある、ということである。(略)

2016/7/24
大島廣志 編『野村純一 怪異伝承を読み解く』、日経新聞2016年7月24日付にて紹介 野村純一 怪異伝承を読み解く
野村純一 怪異伝承を読み解く

 若者の間で昔話や伝説、噂話を集めた本の人気が広がっている。柳田国男の『遠野物語』をはじめ、日本の民俗学でこうした書籍の蓄積は厚いが、そこで語られる不思議な話、怪異譚が今の20〜30代には目新しく、興味を引かれるようだ。過去の著作や論文の復刊も増えている。(中略)
 やはり民俗学者の故・野村純一の論文を編集し直した本も出た。大島廣志編『野村純一 怪異伝承を読み解く』(アーツアンドクラフツ)だ。同社の小島雄代表は「アニメ『妖怪ウォッチ』のヒットや、昨年亡くなった水木しげるさんの影響で妖怪などへの関心が高まり、忘れられつつあった昔話や民話にも再び脚光があたっている」とみる。

2016/6/20
小嵐九八郎 著『彼方への忘れもの』、北羽新報2016年6月20日付にて紹介 彼方への忘れもの
彼方への忘れもの

 大学改革を掲げた学生運動が高揚し、ベトナム戦争反対の政治闘争が激しさを増した1960年代後半の全共闘時代を扱ったノンフィクションや小説は数あれど、当時の学生の心の揺れをこれほど深く描いた作品があっただろうか。(中略)
 全共闘の誕生、10・21国際反戦デー新宿騒乱、東大安田講堂の攻防、神田カルチェラタン、仁侠映画、麻雀、ミニスカート、サークル活動、寺山修司、大江健三郎…。時代を見事に切り取っている。村上弁を織り交ぜた「団塊世代におくる面白、ほろ苦、切ない青春小説」との宣伝文句はまさにである。(略)

2016/4/10
正津 勉 著『山水の飄客 前田普羅』、東京新聞・中日新聞2016年4月10日付にて紹介 山水の飄客 前田普羅
山水の飄客 前田普羅

(略)先人の紀行や詩歌を見いだして山に登り、書くことで山を追体験する。前田普羅もそんななかで知った偏愛の俳人。高浜虚子の高弟で近代の山岳俳人の先駆者だ。〈地貌〉という言葉で土地の風土を写生し、甲斐や信州、立山や飛騨の山影を俳句の言葉と一体化させた。〈茅枯れてみづがき山は蒼天に入る〉〈弥陀ケ原漾ふばかり春の雪〉…。
 普羅の人生や句作を浮かび上がらせるために飯田蛇笏・原石鼎・若山牧水・斎藤茂吉など同時代の詩歌人を登場させる。自身の登山体験をいかして句の背景となった山々の民俗文化にも触れてゆく。さらに、山を歩き渓谷を探索する飄客の面影から一転、戦時中の翼賛俳句、居場所をなくした落魄の晩年における保田與重郎や棟方志功との交友にも言及する。(略)(評・大日向公男) 全文 記事書影

2016/4/05
正津 勉 著『山水の飄客 前田普羅』、毎日新聞2016年4月5日付夕刊にて紹介 山水の飄客 前田普羅
山水の飄客 前田普羅

 飄客とは放蕩者のことである。普羅と聞いて、すぐに高浜虚子門下の四天王の一人と想起する人は多くはないのではないか。流布する句集はない。人物を知る手がかりも少ない。だが、知る人ぞ知る名句を残した。特に甲斐、立山、飛騨の渓谷を巡った俳句は風情がある。登山を愛する詩人が山岳俳人に敬意を表してつづった評伝だ。

2016/3/15
正津 勉 著『山水の飄客 前田普羅』、「山と渓谷」2016年4月号にて紹介 山水の飄客 前田普羅
山水の飄客 前田普羅

高浜虚子門下の一人にして山岳俳句の第一人者と呼ばれる前田普羅。東京生まれながら街を嫌い、志賀重昂に惹かれ、立山、甲州の山、浅間山など彷徨しながら数々の句を残したとされる。しかし、句集をはじめ資料が極めて少ないことから認知度は決して高くはない。200を超える句を引用しながら、彼の生涯、人となりを探る。

2016/3/05
鈴木ふさ子 著『三島由紀夫 悪の華へ』、図書新聞2016年3月5日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
三島由紀夫 悪の華へ

(略)本書を真にユニークなものにしているのは、私の理解によれば次の二点である。
 第一に、ワイルドには認められるキリスト教に由来する罪悪感や恐怖心、言い換えれば逆説的な形で示されるワイルドの宗教性が、三島には欠落しているという観点である。(中略)
 第二に、本書の戦慄はワイルドで始まりワイルドで終わると言ったが、ではそれが、本当に官能と悪と美の融合した「禁断の『果実の味はひ』」に収斂するかというと、必ずしもそうではないということが指摘されなければならない。(中略)
著者はどこまでもワイルドに即して三島を論じる構えを見せながら、究極のところではすべてを浄化して、読者を透明な別世界に連れ去るのだといえよう。
 こうした特質ゆえ、本書はまことにユニークな仕上がりとなっている。それを可能にするのは、閑麗でしなやかな文体である。(略)(評・井上隆史=白百合女子大学教授)(一部抜粋)

2016/3/04
正津 勉 著『山水の飄客 前田普羅』、日刊ゲンダイ2016年3月4日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
山水の飄客 前田普羅

 明治生まれの俳人、前田普羅は13歳のとき、両親が台湾に渡ったため、親戚に預けられる。母は3年後に死亡、寂しい少年時代を送った普羅は、俳句を詠むようになった。(中略)
 高浜虚子の弟子であり、山岳俳句の第一人者だった前田普羅の作品の世界に迫る。(一部抜粋)

2016/1/10
鈴木ふさ子 著『三島由紀夫 悪の華へ』、東京新聞・中日新聞2016年1月10日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
三島由紀夫 悪の華へ

(略)一三歳のときに手にしたワイルドの『サロメ』は彼に決定的な影響を与えた。この芝居を、三島は自決の直後に上演させるべく死の三日前まで周到な準備をし、妖艶なサロメによって所望された預言者ヨハネの生首が、三島自身の刎ねられた首に重ね合わされる「死の演出」を実現した。
 しかし本書は、三島の壮絶かつ劇的な最期から遡行してその文学全体を見ようとする(これまでの三島論の多くはその傾向を免れなかった)のではなく、ワイルドに影響を受けた三島の揺籃期と青春期の作品を原点として扱うことで、あの自裁のドラマが、作家の青春期への、文学の源泉への回帰−十代の己へと帰郷するための不可避な運命であったことを、鮮烈に示してみせる。
 (中略)これまでの三島論が、作家が演出した政治と文学、行動と認識、武と文といった二元論に眩惑されてきたのにたいして、この女性批評家の優美な筆致は、その作品の心の扉を開き、三島由紀夫という作家の原像を明らかにしてみせたのである。(評・富岡幸一郎=評論家)(一部抜粋)

2015/12/1
鈴木ふさ子 著『三島由紀夫 悪の華へ』、産経新聞2015年12月1日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
三島由紀夫 悪の華へ

 大学で英文学を講じている鈴木ふさ子さんから『三島由紀夫 悪の華へ』(アーツアンドクラフツ)という本が送られてきたのでさっそく目を通した。《あの最期こそ三島が己の文学の源泉へと回帰するため不可避な運命であった》とする鮮烈かつ優美な三島論である。切り口はオスカー・ワイルドだ。(中略)
 鈴木さんは《ワイルドの『サロメ』を論の最初と最後に配置し、ワイルドの要素を通底音として全体に散りばめること》によって、三島文学の全体像を浮き上がらせようとする。果たしてそこに現れてくるのは、蒸留水のような精神の透明さと心の底の深い優しさである。(中略)「憂国の士」という鎧から三島を解き放つ嫋やかな評伝である。(桑原聡)(一部抜粋)

2015/11/30
鈴木ふさ子 著『三島由紀夫 悪の華へ』、毎日新聞2015年11月30日付にて紹介 三島由紀夫 悪の華へ
三島由紀夫 悪の華へ

(略)ワイルド研究家によるユニークな三島論。没後45年を経て、あの衝撃的な自決のインパクトから自由になった、その作品論を通しての評伝が新鮮である。三島文学の本質にある手弱女ぶりが、作家が愛した『サロメ』の血潮のなかに優しく官能的な華となって咲き乱れている。(評・富岡幸一郎=評論家)(一部抜粋)

2015/7/12
黒古一夫 著『村上春樹批判』、東京新聞・中日新聞2015年7月12日付にて紹介 村上春樹批判
村上春樹批判

 ベストセラー作家の村上春樹が、阪神淡路大震災やオウム真理教事件を契機に発信し始めた社会的メッセージは本心なのか、それとも戦略なのか。反核運動に関わりをもたない作家が文学賞受賞記念講演で〈反核スピーチ〉をおこなったことに著者は違和感を覚える。新世代の文学に新風を招き入れた作家の「政治意識」に言及しながら、作家論と作品論を展開。

2015/5/27
田山準一 著『続 歳月の彩り』、神奈川新聞2015年5月27日付にて紹介 続 歳月の彩り
続 歳月の彩り

 今回の「続―」には商魂たくましい業界人や道楽息子を説教する船主、請求書を突き返される船の修理屋など、人間味あふれる「いさば(魚市場)かいわい」の人たちが多く登場する。田山さんは「もうかっても損しても、笑い飛ばす朗らかな気質が三崎にはある。広い太平洋に面しているからか、くよくよしない面が私は好きでね」と話す。
 三崎独特の言葉遣いや業界用語も五十音順に400語余りを収録。「今は冷凍マグロだが、生の時代の用語もかなり入れてある。今の若い人たちは知らないだろうし、放っておくと忘れられてしまうから」
 最盛期を知るだけに「もう一度、昔の活気を戻してもらいたい」との思いも抱く。生マグロの取り扱い再開や埋め立て地の活用、観光客向け催しの開催などアイデアは尽きない。(山本昭子)(一部抜粋)

2015/5/26
黒古一夫 著『村上春樹批判』、上毛新聞2015年5月26日付にて紹介 村上春樹批判
村上春樹批判

同書では村上さんの長編「1Q84」シリーズを「失敗作」と指摘。娯楽性を追求するあまり「文学賞の仕組みやカルト教団の内部がリアリズムに欠けている」と説明する。
 黒古さんはデビュー時から村上さんに注目し、これまでも評論集などを発行。今回は2008年以降に発表した評論を中心に、長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」や「女のいない男たち」などを論じた。(中略)
 国内外で村上さんについて講演すると、必ず「なぜノーベル文学賞を取れないのか」と質問されるという。その理由を本書では、中国のノーベル賞作家、莫言さんと比較し「作品が持つ社会に対する批評性の低さにある」と説明する。(一部抜粋)

2015/3/28
黒古一夫 著『葦の髄より中国を覗く』、図書新聞2015年3月28日付にて紹介 葦の髄より中国を覗く
葦の髄より中国を覗く

 著者は東日本大震災と、自身の筑波大の定年退職が重なった2011年に、武漢市にある華中師範大学から、大学院で教鞭をとってほしいと招請された。村上春樹論を何冊か書いていたが、中国でも村上氏は大変な人気で、彼の小説だけでなく、中国語に翻訳された著者の春樹論も日本に比べ何倍も売れ、それで「お声」がかかったらしい。(中略)
 現代中国の学生の、イデオロギー的バイアスがかかっていない素顔が色々紹介されており、国家レベルでの交渉や対立からは見えてこない「現代中国の今」がよく分かる。こういう学生が中国の権力中枢や企業トップになった時に、この大国の姿や対日関係が大きく変わるのだろうか。それはこういう「建前」でしかない体験記から探るしかないだろう。(評・山辺裕之=評論家)(一部抜粋)

2015/3/8
谷川 雁 著『不知火海への手紙』、信濃毎日新聞2015年3月8日付にて紹介 不知火海への手紙
不知火海への手紙

谷川のユーモアは油断がならない。四季の山の風景をエレガントな硬質の抒情で切り取っても、筆は掘るがごとく下へ下へ。語源に遊び、植樹(人工林)やダム計画の浅慮を突き、敗戦を迎える年の極寒が、軍部の“座して春を待つ”の思考停止を招いたのではないかと無策を暴く。「地名は地霊の名刺」などの考も、列島が揺れるいま、遺言の重さだ。
 詩人として出発し、筑豊で炭鉱労働者をオルグする工作活動に身を投じ、東京で一転、資本家側となって語学教育を手がけ、黒姫に移ってからは児童文化活動にいそしんだ谷川は、生前から存在自体が解読の難しい作家だった。(中略)
 本名巌。直江兼続が自身を雁に見立てた漢詩のように生きた。没後20年、再評価が始まっている。九州と信州にまたがる谷川雁論が待たれる。(評・温水ゆかり=ライター)(一部抜粋)

2015/2/15
黒古一夫 著『葦の髄より中国を覗く』、東京新聞・中日新聞2015年2月15日付にて紹介 葦の髄より中国を覗く
葦の髄より中国を覗く

 国土が広くさまざまな民族の人々が生きる中国では、反日行動も単純に「日本嫌い」と見なしにくい。国内の政治問題や社会状況と微妙に絡んでいるからだ。領土問題、儒教精神の影響、恋愛・結婚観まで、かの地に暮らした近現代文学の研究者が、学生や市民との交流を通して見聞した現代中国最新事情。体験とともに、中国人の歴史や心性への理解が必要という。

2015/2/8
谷川 雁 著『不知火海への手紙』、東京新聞・中日新聞2015年2月8日付にて紹介 不知火海への手紙
不知火海への手紙

 一九六〇年安保のあと、谷川雁は詩との決別宣言をする。後に55歳で、信州・黒姫へ移住。移住後は、宮沢賢治の文学や理念を体現した「人体交響劇」や児童文学活動に取り組んだ。
 本書は、移住後の7年目に、故郷水俣にあて新聞に連載した「手紙」が中心になっている。ほかに賢治童話について、ユニークな作家論と言ってもいい中上健次や鮎川信夫や宮本常一への追悼文、旧制熊本中学・五高時代の随筆や小説など、単行本未収録の散文を収めている。(中略)
 ところでこれは水俣への「望郷書簡」だろうか。いや、季節の自然や動植物と共棲する黒姫の森は、この詩人にとって人間界では不可能な、夢見られたコミューンなのかもしれない。そこには筑豊炭鉱争議を背景にしたかつての「サークル村」や、賢治のイーハトーブも息づいている。もう一つの「原郷」からの、遺書にも似た「天上書簡」なのだと思う。(評・吉田文憲=詩人)(一部抜粋)

2015/1/16
黒古和夫 著『葦の髄より中国を覗く』、週刊読書人2015年1月16日/3073号にて紹介 葦の髄より中国を覗く
葦の髄より中国を覗く

(前略)大まかに言って、黒古氏は、今は現代の日本の批評家が、ルーティーンな「茹で蛙状態」に見える営為に終始している中で、唯一生まじめすぎる発言を続けていて、そこに評者は注目して来た。本著のコンテンツは、人気の作家村上春樹に代表させているところが多い。著者は周知となっているように村上文学を批判。そのビコーズは、世界が若者によって開かれるのに、村上は希望も展望も持たない「ネクラの人物像」に、やたら終始していることにこだわる。
 黒古氏の中国での学生たちとの応接においても、これが関わる。「開放・改革の中国の学生、大学の姿勢」に黒古氏はなじめないようだし、評者も同感である。(中略)
 本著の文体はリーダブルで、読み易い。この人の「文芸評論」のコワモテ型とは対極的。本著を読み上げて、評者は、黒古氏が文芸評論を主軸としつつも、今後は国際政治・芸術界全般に身を挺して進出してもらいたいと願う気持ちを強く持った。(評・安宅夏夫=詩人)(一部抜粋)

2014/12/7
黒古和夫 著『葦の髄より中国を覗く』、京都新聞2014年12月7日付にて紹介 葦の髄より中国を覗く
葦の髄より中国を覗く

 2012年夏から今春にかけて中国・武漢市の大学院に日本文学の教授として招かれた文藝評論家の著者。(中略)
 急速な経済成長と、一方で広がる経済格差などの課題。赴任は反日デモの吹き荒れた時期と重なるが、人々は皆親切だった。両国の友好と平和を願いつつ、実体験に即して中国の光と影を冷静に見詰める論考が新鮮だ。(一部抜粋)

2014/9/27
金子兜太 著『日本行脚 俳句旅』、しんぶん赤旗2014年9月27日付にて紹介 日本行脚 俳句旅
日本行脚 俳句旅

 行楽の秋。日常とはちがう景色をもとめて旅立つ人も多いでしょう。詩人の正津勉さんは「旅とは空間の移動だけではない。時間の往還でもある」と論じています。歴史や人生をたどりながら、時を行き来することもまた旅人か。
 「定住漂泊」の俳人、金子兜太さんは訪れていない所がほとんどないほど列島の各地をめぐってきました。北海道から沖縄まで、句作の旅のくり返し。このほど全国津々浦々で詠んだ句をまとめた『日本行脚俳句旅』を刊行しました。
 妻と連れ立った北の大地では〈アイヌ秘話花野湖水の藻となるや〉。転勤で福島に滞在した当時をしのんで〈人体冷えて東北白い花盛り〉。南島から最後の引き揚げ船で復員し、俳句の社会性を追い求めた東京では〈地下鉄出る髪ずぶ濡れのデモに向い〉。
 金子さんは本紙で語っています。無謀な戦争の体験者として、無残に死んでいった人たちに代わって伝えたい、と。〈原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ〉(広島)、〈彎曲し火傷し爆心地のマラソン〉(長崎)。
 日常すべてを旅する95歳の俳人は「定住しつつ、漂泊しているのが人間の、今の生きている姿なり」といいます。〈海とどまりわれら流れてゆきしかな〉。そこには、時や場に安住せず、つねに時代の変化を感じ取る気構えがあります。(一部抜粋)

2014/9/5
田中和生 著『吉本隆明』、週刊読書人2014年9月5日/3055号にて紹介 吉本隆明
吉本隆明

 「庶民思想家」吉本隆明の巨大な足跡を、庶民(大衆)との関係意識に焦点を絞ってたどった若い世代の力篇である。まっとうな絞り方であろう。旧世代が引き摺らざるを得ず、吉本が克服に悪戦を重ねた「ロシア・マルクス主義」への拘泥など微塵もない。囚われない視点で主著に挑み、臆することなく見解を披瀝している。疑義もあるが、真摯でときに強引とも映る掘削力が印象に残る。(評・脇地 炯=評論家)(一部抜粋)

2014/8/31
田中和生 著『吉本隆明』、図書新聞2014年8月31日付にて紹介 吉本隆明
吉本隆明

 田中和生は、「大衆の原像」から、可能なかぎり普遍的なイメージを取り出そうとしているといえる。(中略)
 二つの世界大戦を通して、思想の可能性というものを失った現代という地平に、吉本隆明の「大衆の原像」をおいてみるならば、何を引き出すことができるかという関心からである。そのために、田中和生は、一つのアウトラインを引いてみせる。「畜群本能」という言葉に「大衆」の本質を見出したニーチェの思想と、「頽落」という言葉によって大衆の存在様式をとらえたハイデガーの思想に、吉本隆明の「大衆の原像」を対置させるという方法である。(中略)
 このような田中和生の試みは、吉本隆明論として斬新であるだけでなく、思想論としても優れたものといえる。(評・神山 睦美)(一部抜粋)

2014/08/31
窪島誠一郎 著『蒐集道楽』、しんぶん赤旗2014年8月31日付にて紹介 蒐集道楽
蒐集道楽

 コレクター(蒐集家)は「ストレス」や「欠落感」も「物」と一緒に抱えるものか。そんな感情を持つからこそ、いっそう熱心に集めるのか。
 信濃デッサン館、無言館の設立、運営で知られる著者による絵画蒐集をめぐってのエッセー集。既刊の文章と書き下ろしを併せて新たに編集した美術思索書である。(評・大井 健地=広島市立大学名誉教授)(一部抜粋)

2014/7/15
窪島誠一郎 著『蒐集道楽』、「月刊 水墨画」2014年8月号にて紹介 蒐集道楽
蒐集道楽

 この本は、その蒐集癖が頭をもたげはじめた頃から、「私は自分がそう生きられなかった人生をとりもどすために、あるいはそう死ぬことのできなかった人生の空白をうずめるために、かれらの生命の欠片を蒐集している…私のコレクションの目的と理想は、ずっと以前からそこにあったという気がしてならない」と吐露する現在までの、苦心して作品を手に入れながら、その作品を館運営のために手放し続けてきた事実への、窪島版「びんぼう自慢」、懺悔録、告白録である。
 だがそれは人と絵を愛すればこその行状であり、著者を止まり木として通過した絵たちは命を得、再び人の間を経巡る。(一部抜粋)

2014/5/25
窪島誠一郎 著『蒐集道楽』、日本経済新聞2014年5月25日付にて紹介 蒐集道楽
蒐集道楽

 夭折画家の絵画を集めた「信濃デッサン館」の館長を務める著者が、美術品にささげた半生をつづった。職を転々とした後に画商となり、村山槐多、野田英夫などの作品を「花摘み」のごとく集めたいきさつ、デッサン館の開館後に借金地獄となり、コレクションの一部をオークションに出した苦労話など、興味深い逸話が満載。著者の絵画への絵画への愛情が率直に伝わる。(一部抜粋)

2014/4/9
森崎和江 著『いのちの自然』、東京新聞2014年3月29日付にて紹介 いのちの自然
いのちの自然

 北九州の地で、ノンフィクションやエッセーや詩を書き続けてきた森崎和江さんの本をまとめて読む機会があった。
 日本の植民地だった朝鮮半島に生まれ育ち、戦後はその歴史の影を背負った自分史に重ねながら、底辺の労働者や社会の辺境の労働者や社会の辺境で生きた女たちの声を拾い集めた。必ずしも苛酷な声だけではなく、女性が育んできたおおらかな文化や風習の声音も聞こえてくる。手探りで自立をもとめた女性の<産や性>の思想、自然の生命力と共振する<いのち>の思想・・・。その足跡の全貌を知るには『森崎和江コレクション』(全五巻・藤原書店)があるが、未公刊の詩群やエッセーを含んでコンパクトにまとめた『いのちの自然』(アーツアンドクラフツ)も最近出た。
 さまざまな仕事の中でも、変貌する高度経済成長の列島の片隅を旅した紀行文集がいい。『海路残照』『消えがての道』などには、今はもうみることのできない日本の懐かしい風景や名もなき人々の暮らしが伸びやかに描かれる。どこかで文庫本にしてくれないか。(一部抜粋)

2014/3/17
正津 勉 著『子供の領分|遊山譜』、「山の本」2014年春/87号にて紹介 子供の領分|遊山譜
子供の領分|遊山譜
 正津勉氏の最新詩集が刊行された。題して『子供の領分|遊山譜』。
 散文が歩行なら、詩は舞踏であると言ったのは、かのヴァレリーであったか。若き日、詩人として出発しながら、いったん散文に筆を染めるや、詩作からは離れてしまうのが通例なのに、早くから小説や評伝に縦横の活躍をする正津氏が、本業の詩を手放さずにいるのは、頼もしい限りで、もともと氏の詩世界が歩行と近しいせいもあるだろう。
 歩行と言えば、一歩一歩山道を踏みしめて登り降りするしかない登山はその最もたるもので、それを時間軸に移せば幼時の想い出に連なるわけだから、両者のマッチングがすばらしい。(一部抜粋)
2014/3/7
正津 勉 著『子供の領分|遊山譜』、「現代詩手帖」2014年3月号にて紹介 子供の領分|遊山譜
子供の領分|遊山譜
 「子供の領分|遊山譜」と題されたパートは蛇、白鷲、鹿、薇、里芋などの動植物を主題にし、幼年期の思い出をからめたもの、そして故郷越前周辺のフォークロアを下敷きにしたもの、病んだ母についての詩篇でまとめられている。「遊山譜」は正津さんの実際の山行に取材したもの、次に敬愛する「人間としての山」とでもいうべき物故詩人、俳人たちへのレクイエムがならび、掉尾の力作二篇「辿る」「偽安心」で閉じられる。さりげないが、詩集の構成自体が一つの生という山行の象徴のようでもある。山行の内実は、山ガールたちや最新の装備に身を包んだ格好のいい青年たちとは全く異なり、癒しや爽快さなどではありえない。正津さんの山行に共鳴するのは自己への苦い視線があるからだ。(一部抜粋)
2014/3/7
信濃毎日新聞社 編著『小さな手と手』、信濃毎日新聞松本平タウン情報2014年3月4日付にて紹介 小さな手と手
小さな手と手

 3部構成で、第一部は「十歳の県立こども病院」。2003-04年に井上裕子記者(現文化部長)が取材し56回連載した中から抜粋した。「小さく生まれる赤ちゃんたち」「障害のある子を産んで」「高度医療の先に」「小さく生まれた子の育ち」の4章で、さまざまなケースに密着し、新聞掲載時も反響があった。
 第2部の舞台は13年5月、「二十歳の県立こども病院」。松本本社報道部の井口賢太記者が中心となって取材した。「つらい病の中でも笑顔は見られる。心温まる話もたくさん聞けた」と振り返る。
 第3部はこども病院、小児医療に携わる人、患者の家族らの寄稿集。重い病を背負った姉を持ち、長く寂しい思いをせざるを得なかった妹の寄稿は、医療の最前線とは別の面で胸を打つ。「小児医療には本当にさまざまな面がある。家族へのケアはとても大切」。書籍化に向け尽力した井上文化部長はは、そう言葉を絞り出した。(一部抜粋)

2014/3/7
信濃毎日新聞社 編著『小さな手と手』、しんぶん赤旗2014年3月2日付にて紹介 小さな手と手
小さな手と手
 1993年に長野県安曇野市で開院し、小さく生まれた赤ちゃんや重い病気の子どもの命とその家族を支えてきた県立こども病院の実践を10年、20年の節目で取材しています。新生児医療が進歩して助かる命が増えた一方で救えない命もあります。重度の障害があっても家で暮らしたい、最期をどう過ごすのかなど家族思いと向き合い模索を続けます。
2014/2/21
前田 速夫 著『辺土歴程』、月刊「望星」20114年3月号にて紹介 辺土歴程
辺土歴程
 著者は各所へ足を延ばし、当地の民俗にまつわる、住民の生の声に耳を傾ける。はぐらかされたり追い返されたりして、ときに停滞しながらも、歴史の闇に迫る取材が徐々に文献史料のの空白を埋めてゆく。その臨場感が魅力だ。
 とりわけ興味深かったのは、東北にて鬼の風習を探る「攘夷と鎮魂」の章だ。ここでも著者は平泉の中尊寺に付属する白山神社に注目し、背後に潜む白山修験のネットワークに思いを馳せる。かつ、大和朝廷に敗れたエミシに目を向け、敗死者の怨霊と自然の猛威とを、鎮撫すべき鬼として重ねる。エミシの長・アテルイが降伏した年から六十七年後に貞観地震は起こる。鬼伝説は死者と自然への畏怖を心に刻む記憶装置でもあった。
 姉妹篇『異界歴程』と本書の間には、3.11の大地震、大津波、原発事故という今なお収束のメドが立たない変り目がある。またグローバル化の裏で貧富の格差や偏狭なナショナリズムが進行するなど、ますます空洞化する日本を嘆きつつ、著者は「はしがき」にこう記す。
 《だが、もしかして衰亡から免れる道があるとするなら、まずは何をおいても場所(トポス)の力をよみがえらせて、われわれが遠い祖先から受け継いできた集団的記憶を取り戻すことから始めるしかない。》(評・佐藤 康智)(一部抜粋)
2014/2/21
前田 速夫 著『辺土歴程』、図書新聞2014年2月22日付/第3147号にて紹介 辺土歴程
辺土歴程
 兄事する谷川健一との「豊前取材同行の記」が出色だ。読者は通常、出来上がった一書を提示されるのみ。しかし、この章により、谷川の代表作『四天王寺の鷹』の執筆過程がよくわかる。聞き書きの手法、アポの取り方(かなり行き当たりばったり)、地元民との接し方……。民俗学は『調査されるという迷惑』(宮本常一・安渓遊地著、みずのわ出版)のいうように、下問式、非互恵になり勝ちに。
 だが、谷川の手法は違う。大分県中津市。見込んだ地元の有志に、当地の地名研究会の立ち上げを要請する。筑豊の香春では、中華料理店で3時間超の聞き取り、朝から走り回って、夜も地元関係者から話を聞く。あいまに情熱の分配(オルグですね)も忘れない。社会運動家の面目躍如。弟の谷川雁もしかり。煽動者の血が黙っていない。表現者たるもの、まわりの人間がすわっと腰を浮き立たせないと、本物ではないのかも。タブらかす力といってもいい。
 古代から近代までを俯瞰した論証は緻密でぬかりがない。「おや」「まあ」の連続。
 加えて、文章が小気味いい。名編集者は、過不足ない言葉を用いる名文家でもある。〈往古は神と人との間に立つとして畏敬されてきた〉呪術者・芸能者、つまり修験者、陰陽師、春駒、猿飼などを例にあげ、〈時代が下がるにしたがい、逆に卑賤視されるようになったのは、不幸なことだった〉と配慮しつつ、厳然とある〈被差別〉にたじろがない。
 谷川健一にタブらかされた前田速夫は、いま、タブらかす側に回ったと。(評・和賀 正樹=出版労働者)(一部抜粋)
2014/2/21
前田 速夫 著『辺土歴程』、東京新聞2014年2月16日付にて紹介 辺土歴程
辺土歴程
 前田さんは文芸誌「新潮」編集長などを歴任した元編集者。五十代から本格的に民俗研究に取り組み、菊池山哉のユニークな民俗学を発掘。大きな示唆を受け、白山信仰の研究や調査を始めた。
 「ものを書き出したのは会社を退社してから。見よう見まねの晩学ですし、多忙で、丹念なフィールドワークをこなす時間もなかった」。そんな環境ゆえ、民話や民具の具体的な調査より、自前のテーマを構想力で拡張しながら歴史や文化を探る柳田国男・折口信夫・谷川健一の民俗学の系譜に惹きつけられた。
 施政者が編んだ史書や宮中に遺る儀礼からよりは、民間の祭事や説話から、正史には遺らない民衆やマイノリティーにまな差しが向けられるのも、前田さんの民俗学の特徴である。
 最新刊の、民俗文化の色濃く残る内外の土地を旅した記録『辺土歴程』には、そんな〈小さきものたち〉の生と死の稗史が描かれる。
 「大昔の信仰を調べながらも、柳田国男の〈経世済民〉のように、いまの時代や世の中とは何かを常に考えた民俗研究でありたい」(評・大日方公男)(一部抜粋)
2014/2/19
信濃毎日新聞 編著『小さな手と手』、信濃毎日新聞2014年1月31日付にて紹介 小さな手と手
小さな手と手
 県立こども病院(安曇野市)が開設されて10年、20年の節目に、信濃毎日新聞に連載した記事をまとめた「小さな手と手 二十歳になった長野県立こども病院」が、アーツアンドクラフツ社から刊行された。
 NICU(新生児集中治療室)で生まれた小さな赤ちゃんの育ち、生まれながらに障害がある子どもたちの治療や成長、それを見つめる親の思いなどをリポート。子どもたちを支える病院スタッフや、かつて自身が治療を受けたこども病院で働く医師の姿、開院から20年たった病院のこれからの課題にも触れている。
 2003年5月から連載した「子守歌をうたいたい 県立こども病院と小児医療のいま」の抜粋と、13年5月に掲載した「二十歳のこども病院」を収めた。その間10年のこども病院と産科・小児科医療の変化などを関係者が寄稿している。重い障害のある姉を亡くした妹の思いをつづった作文も収められ、胸を打つ。(一部抜粋)
2014/1/20
正津 勉 著『子供の領分|遊山譜』、福井新聞2014年1月17日付にて紹介 子供の領分|遊山譜
子供の領分|遊山譜
 大野市出身の詩人、正津勉さんの詩集「子供の領分|遊山譜」が発刊された。幼いころの動植物への深いまなざしや、印象に残る山や人への思いをつづった詩が並ぶ。
 2008年刊行の詩集「嬉遊曲」以降に書きためた作品45篇を収めた。前半は大野で過ごした子供時代を、後半は40歳代後半から始めた山歩きで印象深かった山を中心に詠んでいる。
 前半の「子供の領分」では、大野の野山を駆け巡り出合ったヘビや鹿、タケノコ、ゼンマイなどを中心に取り上げた。時折、方言も織り交ぜながら、動植物への純粋な興味や関心を生々しく詩に注いだ。
 「大野での暮らしが自分をつくった。感受性の出発点」と振り返る正津さん。「懐かしくもあり、もう一度、その感覚を取り戻したいとの思いもあった」と述べ、記憶をたどりながらみずみずしい感性をぶつけている。
 後半の「遊山譜」では“山の詩人”として巡った全国の山々を詠んだ。
 正津さんは「私小説ならぬ私詩。優しい言葉を使い、読者の目線で分かりやすく書いた」と述べた。
2013/11/21
小川 直之 著『日本の歳時伝承』、週刊読書人2013年11月22日/3016号にて紹介 日本の歳時伝承
日本の歳時伝承
 日本各地の伝承文化のフィールドワークと研究、中国の少数民族、台湾、インドなどの民族文化研究で知られる小川の筆致は、客観的できわめて精緻なものである。その意味では、本書はコンパクトな研究書であり、単なる入門書では決して無い。だが、足かけ十年に及ぶ大学の社会人向け講座の成果をもとに月刊誌『NHK俳句』の連載を纏めた本書は、日本の歳時伝承にはじめて関心を持った人たちにも、ごく身近な視点に立って、幅広く開かれている。北海道から沖縄まで取材の範囲は幅広く、読者にゆかりの土地の風習もきっと見つかるはずだ。
 「初日の出と初詣」という章には、「時の循環」と題した次のような興味深い一節がある。
 〈私たちが持つ「時間」に関する観念には、「光陰矢の如し」の諺のように、「時」の流れは止めることも元に戻すこともできないという考え方と、「明日があるさ」とか「また日は昇る」のように「時」は繰り返すという考え方がある。前者は直線的概念、後者は循環的概念といえよう〉。さらに小川は、〈再び巡ってくる「時」の意識であり、生きることは繰り返す「時」の累積となる〉と見なす「循環的時間」こそ、「歳時記」を成り立たせる時間観念であると指摘する。
 歳時記が春夏秋冬の四季の四巻からではなく、新年を加えた五巻であること、暦の上では僅かな時間に過ぎない「新年」が四季をも凌ぐ重要な意義を持っていること。これらは、歳時記を頻繁に用いる人々の間でも上る話題であるが、「循環的時間」という視点は、そうした疑問を見事に解決する糸口となっている。生きることは繰り返す「時」の累積であるからこそ、私たちはそこに、精神的な節目を入れ、新たな息吹を注ぎいれる必要がある。
 俳句の世界で今も「新年詠」が特別な意義を持つゆえんでもあろう。
 すなわち、うつろい、巡りゆく季節を、重層的に「今」という瞬間に凝縮させ、「今」を永遠に留めておくため、太古から人々は「年中行事」という形で、「循環的時間」の更新を図ってきたのではなかったか。
 俳句者に限らず、歴史や文化に対する思索を深めたいあらゆる人々に勧めたい一冊である。(評・田中 亜美=俳人)(一部抜粋)
2013/9/3
『魂の還る処』、寺院実務誌『寺門興隆』2013年9月号にて紹介 魂の還る処
魂の還る処
 人は死んだら山に行くのか、海に行くのか。補陀落渡海、西方浄土など古より育まれた日本人の常世観が考察される。「東方浄土と常闇の夜」など。
2013/8/26
『吉本隆明論集』、現代詩手帖2013年9月号にて紹介 吉本隆明論集
吉本隆明論集
 吉本隆明没後、「世界最大の思想家」という言葉が使われるようになった。それはそうにちがいないが、なぜこの「戦後最大の思想家」が「戦後最大の事件」ともいうべき原発事故に際し、「科学に後戻りはない。原発、完全な安全装置を」というメッセージを残したのか。このことについて、納得のいく言葉でこたえた批評を、寡聞にして知らない。この十名の論者による『吉本隆明論集』のなかに、それに通ずるものを探していくとするならば、阿部嘉昭「吉本隆明の「悔恨」」と鹿島徹「逆光の一九八〇年代――埴谷雄高・吉本隆明論争を読み直す」を挙げることができる。(一部抜粋)
2013/6/17
『東満州逃避行』、秋田魁新報2013年6月9日付にて紹介 東満州逃避行
東満州逃避行
 著者は24歳の時、配属先の満州(現中国東北部)で敗戦を迎えた。本書は、1945年8月から2カ月近くに及んだ逃避行を振り返った自叙伝である。著者は98年に76歳で亡くなったが、生前書いた手記を家族が刊行した。
 大仙市に生まれ、16歳のときに父親の勧めで義勇軍に志願。42年に満州に渡った。日本の無条件降伏を知った著者は、「戦争が終わったのに『戦死』するのはばかげている」と戦うことをやめ、生き抜くために逃げる決意をする。
 野草を食べて飢えをしのぎ、ソ連軍の追撃におびえる日々。足手まといだからと殺される子どもや女性、自決を迫られた開拓団員たち。本書には、著者が体験し、見聞きした悲惨な当時の状況が克明につづられている。死と隣り合わせの逃避行は45年10月、朝鮮人集落で自ら武装解除したことで終わった。
 だがその後も著者は中国にとどまり、炭鉱で労働に従事。帰国を果たしたのは、終戦から8年後のことだった。戦後もつらい経験をしたはずだが、本書には逃避行以外のことはほとんど記されていない。
 あとがきで著者は逃避行についてこう記す。「僅か五十日といいながら、私たち、いや、私の残した戦史とは、一体何であるだろう。『生きて帰った』とただそれだけではなかったのか」。多くの死を見てきた著者が伝えたかったことは、命の尊さではないだろうか。
 本書の発行を企画した著者の長男・公一さんは、「終戦から60年以上がたち、戦争を知らない世代が増えてきた。平和な社会で生きる現代人に戦争の悲惨さを伝え、語り継いでいきたい」と語る。(一部抜粋)
2013/3/22
『風を踏む』、図書新聞2013年3月23日/第3103号にて紹介 風を踏む
風を踏む
 大正四年七月、如是閑、碧梧桐、直蔵の三人に案内者・人夫が七人、総勢十名という一行で、正確な地図もなく、経験ある案内者もなく、ともかくも無事七日間で縦断を完遂したわけだが、行程中最高峰の槍ヶ岳に到達した時の描写が面白い。
 「頂上到着。みんながてんでに頂の端に立ち頸をめぐらすようにする。眺望満点。/だがどのように説明したらいいか。なんとはなしあまり感動的でもないのである。そのはじめに針ノ木峠に立ったときの、あれほどの全身的な震えがないというか。なんだかちょっと拍子抜けしたというか。みんながみんな脱力したようなのだ。」
 こういう心境が、なんとなく身近に感じてしまうのだ。これは如是閑たち三人の描像がいいからだと思う。そして、最後の別れの場面では、七人の愛称「カシラ、作サン、源サン、末サン、徳サン、吉サン、ワカシ」を並べて、「このときのみんなとの別れほどに、ほんとうにつらい、しんどい別れといったらなかった」と記していくのがまたいい。
 本書は、如是閑の視線から語られているのだが、碧梧桐の死に接して、いわば北アルプス縦走を回想しながら、追悼していく敬慕の思いは至るところに滲み出ている。直蔵に対しては、悔恨の思いを抱いていく。だから大正期の知識人の相貌を、北アルプス縦走の中に描いているといっていいと思うが、わたしは例え知識人であろうと、山の中での案内人・人夫たちとの共同の場を通して、慰藉されるような関係性がかたちづくられていくことに、素直に感動したいと思う。(一部抜粋)
2013/2/26
『最後の思想』、図書新聞2013年3月2日/第3100号にて紹介 最後の思想
最後の思想
 吉本隆明に、梶木剛が編纂した『井上良雄評論集』(国文社)の解説として書かれた「感性の自殺」という文章がある。
 吉本は「感性の自殺」のなかで、井上が第一義的なことは神が決定し、人間は第二義的以下なもの、つまり相対的なものにのみ関わるという認識に達したのだといっているからである。この点について富岡は、井上が編み出した「感性の自殺」という文学の枠内での人生への対処法を粉々に破砕するように、バルトによって「絶対的他者(イエス・キリスト)との対峙」がもたらされたといっている。それは超越的にして終末論的な、ほとんど恫喝と脅迫に近い啓示であった。おそらく富岡がバルトの処女作『ローマ書講解』に衝撃を受けた契機もここにあったはずである。このバルトの著作はまさに超越的にして終末論的であるがゆえに衝撃的あった。そして、このような衝撃は、モーセを起源とする一神教伝統だけが持っている絶対的な超越性、暴力的ともいえる終末論性によってしかもたらされないというのが富岡の確信なのだ。だが吉本はまさにこうした視点を拒否しようとしているのだ。では、その根拠とは何か。それが自然過程の思想である。これは、観念が自然にぶつかって異和(=自己疎外)を引き起こすことから幻想領域が形成されるという吉本の幻想論の裏面に張りついている思想である。このように形成される幻想領域が、それ自体観念の自然過程にすぎないというのが吉本の認識である。だから自然過程そのものに対して真の意味で異和たりうるのは、逆説的だか自然過程をあるがままに自らの内へと繰り込むことが出来る思想だけなのである。「大衆の原像」の繰り込みの核心的意味はここにある。ここまでくればすべての信仰も宗教も消滅に向かわざるをえない。宗教の内部でこの地点まで歩き抜いたのはただひとり親鸞だけであるというのが吉本の見立てである。富岡はこうした吉本の姿勢に対して控え目ながら異議を申し立てる。その根拠となっているのが一神教的なものなのだ。そして本書の眼目となっているのは、吉本の対抗軸としての一神教的なものの担い手に三島を擬していることである。三島における最後の思想としての一神教的なものの発見こそ富岡の本書における「ユーレカ(我発見セリ)」だったのではないだろうか。(一部抜粋)
2013/2/26
『平成時代史考』、日刊ゲンダイ2013年2月26日付にて紹介 平成時代史考
平成時代史考
 25年目に突入した「平成時代」を回顧、総括する歴史読み物。
 東西冷戦構造が終わりを迎えた1989年に始まり、東日本大震災と未曾有の原発事故が起きた2011年を経て、現在に至る平成時代は、「世界の重大事件が直ちに日本に響き、日本の重大事件が世界にすぐ跳ね返る時代」だと著者はいう。人類がグローバルな世界に生きるようになったこの時代を、世界史の中に位置づけ、著者の私的事跡、感慨を織り交ぜながら振り返る。昭和から平成にまたいだバブルの検証など、世相や歴史事情、物故者の追想など、多視点から平成を考える。
2013/1/10
『最後の思想』、地方紙11紙にて紹介 最後の思想
最後の思想
 『最後の思想』が以下地方紙にて紹介されました。
北國新聞、北日本新聞、岩手日報、日本海新聞、新潟日報、富山新聞、神戸新聞、京都新聞、中国新聞、高知新聞、熊本日日新聞
2012/12/27
『最後の思想』、岩手日報2012年12月23日付にて紹介 最後の思想
最後の思想
 今年3月、吉本隆明が亡くなった。87歳。ほぼ同年生まれの三島由紀夫が自死したのは1970年、45歳だった。吉本は、三島の全生涯にほぼ等しい時間をその後生きたことになる。
 この本は、ともに大正時代末期に生まれ、青年時に大戦を迎え、戦後期に活動した2人を、その死に着目しながら対比的に論じたものだ。
 著者は吉本を思想家ととらえている。徹底性が思想の命だ。思想と信仰は一見似ているが、吉本からすれば全くの別物だ。判断を放棄しなければ、信仰は成立しない。吉本が「反核」運動や「反原発」運動に厳しく反発したのは、そこに信仰特有の欺瞞を見たからだ。
 加えて彼には、思想が思想であるためには大衆から遊離してはならない、という課題が存在する。それが「大衆の原像」だ。
 が、ここニ、三十年、進行する大衆社会は、吉本の思想をものみ込んでしまったように見える。思想家が存在することが不可能、不必要な時代になった。彼はそのことを十分認識していただろうが、自身の思想に精彩がなくなった中での死であることは確かだ。
 2カ月年少の三島にとって晩年は、早くも60年代後半に訪れた。40歳代だ。三島にとって戦後は、自分が生きている実感を持つことのできない時代だった。そんな中、時代との不協和音をエネルギー源としながら、「金閣寺」をはじめとする傑作を発表した。そのせめぎあいのギリギリの時点が70年、45歳という年齢だった。
 今から42年前、「豊饒の海」の最終回原稿を編集者に渡したその日に、世を騒然とさせた自殺を敢行した。老いることへの強い抵抗があったことも彼は告白していた。
 突き放した言い方をすれば、吉本にとって死は遅かったと思われるし、三島にとっては早すぎた。どう遅かったのか、早かったのか、2人の著作に対する著者の周到な読みがその点を解明している。
2012/12/26
『風を踏む』、山と渓谷2013年1月号にて紹介 風を踏む
風を踏む
 大正4(1915)年の夏の話だから、もう1世紀前のこと。新聞記者だった長谷川如是閑、俳人・河東碧梧桐、天文学者・一戸直蔵の3人が、針ノ木峠から槍ヶ岳を1週間かけて縦走し、『日本アルプス縦断記』(大正6年刊行)にまとめた。この古い記録をもとに、日本の登山黎明期を描き出したのが本書である。
 陸地測量部が北アルプス最初の5万分の1地形図を制作したのは大正2年。地理的にはまだまだ不明な点が多かった。当然、登山道などはなく、3人は山案内人たちに導かれ、「這松の拷問」「隈笹の地獄」をかきわけてゆく。
 日本の山に未知未踏があった時代の探検・冒険譚にわくわくする。なかでも彼らが手こずった蓮華岳から船窪岳あたりは、現在でも比較的静けさをたもつ場所。往時を偲んで歩くと、また別の楽しみが増えそうだ。
2012/12/26
『風を踏む』、福井新聞2012年12月19日付にて紹介 風を踏む
風を踏む
 俳人河東碧梧桐、天文学者の一戸直蔵、新聞記者の長谷川如是閑の3人が踏破し、後に出版した共著「日本アルプス縦断記」(大正6年)を基にしたノンフィクションノベル。何ども読み返すほど「日本アルプス―」に引き込まれた詩人の正津勉さんが、「多くの人に知ってもらいたい」と小説化した。
 17章立てで、北アルプス・針ノ木峠から槍ヶ岳に至る山行をたどる。足場の悪い急登、体調不良と苦難に見舞われながらも命懸けで未踏の地に足跡を刻む一行。それぞれの分野で志高き先駆者でありながら不遇をかこっていた3人の境遇も交えつつ、三者三様の山での表情を描き出した。
 6年前、正津さんは同じコースをたどった。「難所にはくさり、はしごがある今でも苦しい道のり。当時は道さえなかった。よくぞやったと思う」としのぶ。「いい距離を保ちつつ、励まし合う3人の友情もテーマ」と話している。(一部抜粋)
2012/12/18
『風を踏む』、山の本2012年冬/82号にて紹介 風を踏む
風を踏む
 久しぶりに夢中になって読みきった作品であり、読後にわずかな疲労感と大きな充実感をも味わった。読み進むうちに自分を縦断者の一人に置き換えていた所為かもしれない。
 巨岩と奇岩、乱立跋扈、這松の拷問、隈笹の地獄、研ぎ立てた天狗の怖い利鎌の刃、樹林の急斜面、岩塊の大絶壁、雁字搦めの薮中と砂礫の崩落激しい断崖、……読み進むに従い次々に目に飛び込んできた言葉からだけでも、いかに壮絶な山行であったかが想像できる。針ノ木峠から不動岳までは艱難辛苦に苛まれる「暗」、南岳から槍ヶ岳にかけては一転して空中漫歩に近い展開の「明」、そして後日談をもって終章を成している。暗を未知とすれば明は既知であるが、その違いは「たった一文字」であっても人に与える影響の度合は計り知れなく、気持ちや行動を大きく左右することを再認識したのである。(一部抜粋)
2012/12/18
『風を踏む』、岳人2013年1月/787号にて紹介 風を踏む
風を踏む
 登山が探検であった時代、当時地図の空白部(測量未定部分)の、針ノ木峠から槍ヶ岳まで踏破したパーティーがあった。
 天文学者の一戸直蔵、俳人の河東碧梧桐、新聞記者の長谷川如是閑の3人と、7人の案内人、人夫の計10人によって敢行された、日本アルプス縦断がそれである。大正4(1915)年の夏のことである。当時、3人はそれぞれに屈託をかかえ、専門、感心、性向など、多くを異にしているうえ、山行に肝心の経験も体力もばらばらときている。そんな3人の日本アルプス縦断はどのようなものだったのだろうか、それだけでもワクワクしてくる。
 そして、この3人の著作になる『日本アルプス縦断記』が刊行されたのは、その2年後、大正6年のことである。
 この書に深く分け入った本書の著者は、自らも実際に縦走コースをたどり、「地図ではなく鉈目をたよりに、先人を訪ね、古誌にあたり、ひたすら道なき道を分け入ってゆく。いまではとても想像できない山行がそこにあった」という。かねてよりあたためていた当時の山行を検証して小説にしたらどうかという思いが、本書に結実した。
 縦断の様子や縦断の3人、人夫の7人それぞれの人物像が、ひょうひょうとした、それでいて臨場感あふれる筆致で描かれており、1世紀ほど前の、探検登山の舞台へ誘ってくれる。(一部抜粋)
2012/12/18
『風を踏む』、表現者2013年1月号にて紹介 風を踏む
風を踏む
 天文学者の一戸直蔵、俳人の河東碧梧桐、新聞記者の長谷川如是閑。この三人を結ぶものは何か。大正六年に刊行された『日本アルプス縦断記』という一冊の本が、その出会いの場所を雄弁に物語る。
 著者は、この本を十数年以上前に入手し、何度も繰り返して読むうちに、この山行記録にのめり込んでいったという。科学・文芸・新聞というジャンルをこえたフロンティアたちが、集い来って北アルプスの針ノ木峠から槍ヶ岳まで、日本アルプスの最深部を縦断したというのだから興味津津である。
 個性というよりも強烈な意思を持ち、しかもそれぞれにある屈託を抱えた三人の男たち。この三人は、しかも近代日本のいわゆる“偉人”伝のなかには入ってこない、輝けるアウトサイダーでもある。
『日本百名山』を手にして、道具を揃えて山登りにいそしむ団塊オヤジ・オバサンたちや、最近流行の山ガールたちとは違う。自然はどこまでも奥深く、ときに残酷なまでに牙を剥く。日本人はそのことを久しく忘れてきたが、大震災以降に改めて“天災”という言葉を思い出した。山はまさに天であり、この天然に挑むとき人は自分の姿を知りその正体に否応なく直面する。
 しかし、本書が面白いのは山岳記録としてだけではなく、困難にして雄大なる冒険を共有した三人の人生そのものの踏み跡が、そこに鮮やかに記されているからだ。それは大正、昭和という時代の激震のなかで、如何に生きたかという魂の記録である。(一部抜粋)
2012/12/11
『風を踏む』、日刊ゲンダイ2012年12月7日付にて紹介 風を踏む
風を踏む
 一戸直蔵、天文学者・科学ジャーナリスト。台湾の新高山頂上に天文台建設を進言するが入れられず野に下り、主宰する科学啓蒙雑誌を拠点にアカデミズム批判の論陣を張る。河東碧梧桐、師の正岡子規なき後、高浜虚子と並び近代俳句を開いた俳人。新傾向俳句運動に邁進(まいしん)、俳句革新を唱道するため都合3年7カ月に及ぶ全国行脚の旅をなす。長谷川如是閑、明治・大正・昭和の3代にわたって反骨のジャーナリストとして活躍、戦後は貴族院議員にも選出される。
 大正4年7月、この3人が北アルプス・鉢ノ木峠から槍ケ岳まで、日本アルプス縦断を敢行した。ほとんど未開拓の難所を24日をかけて踏破。2年後、その記録は「日本アルプス縦断記」として上梓される。
 本書はその記録を小説に仕立て山行をたどりながら三人三様の屈託する心情を描いていく。「登山がいまだ探検であった」時代に3人の傑物が記した貴重な記録を現代に蘇らせ、秀逸。
2012/12/11
『なんふね』、神奈川新聞2012年12月2日付にて紹介 なんふね
なんふね
 三崎魚市場がマグロの水揚げ量世界一を誇った時代、遠洋漁師たちの活躍を描いた男くさい物語だ。マグロはえ縄漁船を地元の人たちは縄船(なんふね)と呼んだ。太平洋、インド洋、ケープタウン経由で大西洋まで出漁した。
 物語の舞台はサモア。けんか早くて、大酒飲みの荒くれ男たちは出漁前からドタバタ劇を繰り広げる。三崎漁師の気風の良さと開き直った度胸が心地いい。食べるに困らない金があれば、貯金もしない、働かないサモア人の姿もユーモラスだ。
 別題の「サモア風土記」も採録され、三崎漁師とサモアの関係を、詳細かつ分かりやすい文章で紹介している。風土記を超えた、貴重な三崎漁業史と言える。(一部抜粋)
2012/11/27
『なんふね』、神奈川新聞2012年11月22日付にて紹介 なんふね
なんふね
 全国有数のマグロ水揚げ基地として、三崎港(三浦市)が最盛期を迎えていた昭和30年代の船員たちを描いた小説「なんふね」が今月、出版された。著者は約40年間、マグロ業界に関わった田山準一さん。
 小説で扱ったのは、老朽船に乗って三崎港から漁業基地のある南太平洋のサモア諸島までマグロ漁に出る男たちの姿。舞台となった昭和30年代は、三崎を拠点に300隻余りの漁船がマグロを求めて出漁した港の最盛期。「金がうなるほどあり、三崎全体が血走っていた」。当時、田山さんが見聞きした内容を盛り込み、港に漂う空気や海に生きる男たちの息づかいが感じられる作品となった。
 港もまちも、往時の勢いが失われて久しい。田山さんは「最盛期の姿から、活気を取り戻すためのヒントを見つけてくれたらいい」と静かに話す。(一部抜粋)
2012/11/16
『夭折画家ノオト』、図書新聞2012年11月24日/第3087号にて紹介 夭折画家ノオト
夭折画家ノオト
 12名の画家の特異な絵画思考とその作品を取り上げる書である。その中のひとり松本竣介の回顧展が、本年4月に始まって計5館の公立美術館を巡回中である。評者は宮城県美術館で観る機会を得たが、松本竣介は日々さもない日常の風景を対象としながら、まず相対する対象に向き合って眼を逸らさず、そこで得られた最初の印象や感情を大事にして手放さない。
 冷製かつ生真面目な揺るがない態度に特別のものがあって、心打たれるものが展示会場全体に響きあっていた。この観る者にとっての「静かな情熱」というべき語義矛盾の感覚の誘発は、絵画に向き合ってこそ起きる奇妙な味わいであって、その感覚はここで取り上げられた12名の画家たちの通奏低音というべきものであり、それは何か絵画表現の始原を示す本質的なものなのではないか、と考えさせられた。
 この「夭折の画家」たちはそれぞれに精神的抑圧を抱えてはいたものの、多くは流行する結核などの伝染性の病に感染して、急に没した。経済的困窮による栄養不良が身体を蝕んだともいえるが、こういった時代の「死の予感」は画家以外の者も同様であっただろう。高間筆子の仕事が人を惹きつけるのは「内部生活の中に醗酵して居る人間本来の生命である。それがなんらかの形をとり、なんらかの色彩をとって表わされた時、その人間の生命の姿が表現せられるのである」。それは真摯に自己と向き合ってこそ可能となるものだが、それは一般的な自己などというものではなく、知覚する身体の多様性の中に自分の知り得ない世界を見ようとしたのであり、それゆえに彼らはそこで唯一のマチエールを手に入れることが可能となった。
 著者のいう「夭折の画家」とは、そういった意味において捉えられるべきであろう。著者は、松本竣介を論じながらこういっている。彼は「けっしてすぎ去った過去の画家なんかではなく、うしないかけている自分をとりもどさせてくれる現実批判の画家である」と。芸術は純粋なイメージによる「自由な仮像」であり、その外側に「現実の世界」があり、そこで芸術は現実世界への批判を翻訳する共有の素材となる、といっていたのはJ・ランシエールではなかったか。本書は、12名の「特権を持たぬ画家」たちが示す自己の〈生〉の芸術が、その権能の行使によって、ついには芸術にとっての〈生〉のあり方をも暗示しているような気がしてならない。(一部抜粋)
2012/11/16
『村上春樹と中国』、図書新聞2012年11月24日/第3087号にて紹介 村上春樹と中国
村上春樹と中国
――「海外短信」コーナーにて、文芸評論家の黒古一夫氏が「〈村上春樹フィーバー〉の現実」のなかで、『村上春樹と中国』を紹介――

 村上春樹と中国(読者)との関係については、今年刊行された3000人の中国人学生へのアンケート調査に基づいて書かれた王海藍の『村上春樹と中国』(アーツアンドクラフツ刊)が詳しく、それによれば中国における「村上春樹熱」は、実は1989年に初めて中国語訳されて以来今日まで150万部以上を売り上げた『ノルウェイの森』熱であって、他の作品は初期の『風の歌を聴け』や2002年刊の『海辺のカフカ』がわずかに読者を得ただけで、最新刊の『1Q84』(2010〜11年)に至っては、9200万円で版権を獲得したにもかかわらず、それほど多くの人に読まれていない状況にある、という。

2012/09/10
『村上春樹と中国』、図書新聞2012年9月15日/第3078号にて紹介 村上春樹と中国
村上春樹と中国
 すでに中国文学者の藤井省三氏が『村上春樹のなかの中国』(朝日選書、2007・7)で村上人気について考察し、その要因として、村上文学が「ポスト搦梠繧フ中国では青年の繊細な心の傷を癒す言葉として受容され」たと述べていた。王氏の本書もその判断に基本的には背馳するものではないが、本書は幾つかの点で異論も述べ、受容の具体相を浮かび上がらせながら、中国においてなぜ「村上春樹熱」が起こったのか、またそこにはどういう背景があったのか、という問題についても論及した説得力ある論考となっている。
 説得力はまずその実証性にある。王氏は中国本土の大半を覆う11都市22大学の3000名の大学生に対してアンケート調査を試みていて、その調査から村上人気の「概観的な研究」からは窺うことのできない実相を明らかにしている。たとえば、村上作品にある「孤独感・喪失感・無力感」に中国の若者読者が共感したことは確かなのだが、それとともに読者は村上文学に「溢れているプチ・ブル的なムードに対する共感の中で自己満足してきた」こと、さらに『ノルウェイの森』が翻訳された当初はソフトな「ポルノ小説」として受け入れられたことに端的に示されているように、村上作品は「性的な知識」が得られる小説としても読まれていたことなどが浮かび上がってくる。そうなると、村上人気は必ずしも「癒し」にのみ引き付けて解釈するのは間違っていることになる。
 本書は、村上作品が中国の若者たちの生活スタイルにも大きな影響を与え、村上春樹は「若者たちの〈一種のファッション〉」になっていること、さらには作家たちにも影響を与えていて、日本でも少し話題になった『上海ベイビー』の衞彗は「村上チルドレン」の一人であることなども、目配り良く論述している。本書によって、読者は中国における村上春樹受容の実態を知ることができるが、さらには本書を通して文化大革命の時からは隔世の感のある現代中国をも垣間見ることができるだろう。(一部抜粋)
2012/08/14
『桜伝説』、図書新聞2012年8月18日/第3075号にて紹介 桜伝説
桜伝説
 福島県三春町の滝桜(国指定天然記念物)が、今年も咲いた。福島原発から50キロほど離れた場所にある樹齢1000年を超える老樹から放たれる桜の花は、TV画像でしか見たことはないが、見事なものだとつくづく思う。わたしたちは、なぜこれほどまでに、桜というものに魅せられてしまうのだろうか。綺麗なものをただ愛しむだけで、いいではないかといわれそうだが、やはり、なにか納得したい思いを払拭できないでいるのは、辛いものだ。本書によって、「伝説」や「物語」、つまり、三春の滝桜がそうであるように、歴史時間とでもいうべきものが、桜の樹木にはあり、そのことが、わたしたちに感銘を与えるものだということが、了解できるのだ。著者は写真紀行作家として、多くの桜や草花などの著書を持つ。「伝説のある桜」というカテゴリーがあるとはいえ、全国隈なく配置された桜案内は、実に贅沢なものとなっている。
2012/07/24
『夭折画家ノオト』、東京新聞・中日新聞2012年7月22日付にて紹介 夭折画家ノオト
夭折画家ノオト
 おまえはこれからどう生きるのかという孤独な命題をつきつけられた村山槐多の「バラと少女」。絵に潜むまなざし、自分の中にある魔的の魅力を描いた関根正二の「自画像」。西洋美術の真髄を得るために苦闘し、独自の表現を拓きながら、若くして世を去った大正昭和の十二人の画家・作家の青春をめぐるエッセー集。芸術表現と死への誘惑の近親性を探る。
2012/06/25
『行動する眼』、読売新聞2012年6月23日付にて紹介 行動する眼
行動する眼
 6年前に、東京・東麻布のギャルリーMMGの閉廊について書いたことがあります。
 主宰する益田祐作さんの目は日本に紹介されていない現代美術の重要作家や、忘れ去られた日本の作家に向いていました。とりわけ重い衝撃をはらんだのは、東ドイツやポーランドなどかつての東欧世界の作家に光を当てる企画でした。
 いわば亡命して「自由な」西側に出ることなく、東側にとどまった人々。個別の事情はともかく、内へ向いたその知られざる生命の持続の形に、益田さんは人間の存在にかかわる何事か根源的なテーマを見たのです。企画の成果は、いま『行動する眼』として公刊されています。
 西側へ出た人々とは、自らの自由のために行動した人々ということでしょう。その勇気が世の耳目も集めたでしょう。
 一方、とどまった人々は世の関心の外です。話題になることも、もてはやされることもない。深い孤絶のなかで、一本の杭のように自らを垂直に打ちこんでいくしかない。
 本当を言えば、人に顧みられることなく己に向き合わざるを得なかった生こそ、身一つでじかに世界に触れてきたリアリティーがあります。それに比べれば、脚光を浴びる生、もてはやされる生は、しょせん夢まぼろし、人の世の虚妄にすぎません。いずれ夢はさめるのです。(一部抜粋)
2012/06/04
『夭折画家ノオト』、産経新聞2012年6月3日付にて紹介 夭折画家ノオト
夭折画家ノオト
 昭和54年、長野県上田市に小さな私設美術館「信濃デッサン館」を開設した著者が、若くして亡くなった芸術家への思いを自らの人生と重ね合わせてつづった。
 22歳で世を去った画家で詩人の村山槐多には、ひときわ思い入れが強い。「技法とか画法とかいうのではなく、何か絵のむこうからおしよせてくる異様なほどの圧力とエネルギーをかんじさせる絵である」と記す。
 関東大震災で絵がすべて焼失し、詩画集でしか絵が知られていない画家、高間筆子。19歳にして美術史に残る名作を残し20歳で死去した画家、関根正二…。20世紀前半、彗星のように去っていった12人の画家や詩人が描かれる。
2012/05/18
『村上春樹と中国』、日本経済新聞(夕刊)2012年5月15日付にて紹介 村上春樹と中国
村上春樹と中国
 中国の22の大学で3000人近くの学生からアンケートを取り「村上春樹熱」の実態を調査したのは王海藍さんだ。2003〜11年に筑波大学に留学して学術博士を取得、現在は上海の復旦大学で研究を続けている。3月に研究結果を書籍「村上春樹と中国」(アーツアンドクラフツ)にまとめ、出版した。
 本書によれば、中国の大学生読者のうち5分の4が、作品に漂う「孤独と喪失感」に共感しているという。「今の中国の若者の多くは一人っ子で孤独な上、両親と祖父母の生活も背負わなければならない。しかも就職は厳しく、鬱病が増えている」と王さん。こうしたストレスを抱えた若者の心に、村上作品が響いていると分析する。本書は、1989年に始まる中国における村上春樹受容史も振り返っている。
2012/05/14
『村上春樹と中国』、週刊読書人2012年5月11日/2938号にて紹介 村上春樹と中国
村上春樹と中国
 本書は三つの相を持っている。まず村上春樹作品の翻訳事情が報告され、つぎに中国本土での調査報告と分析がなされ、さらに中国での村上春樹研究の現状と展望が論じられる。
 本書の白眉は実地調査である。中国全土を自らめぐる調査は超個人レベルだ。調査から導かれたものは凡庸には見える。しかし凡庸な結論のための尽力こそ敬服に値する。
 ところで、かつて村上春樹はレイモンド・チャンドラーを評して、彼のアメリカ西海岸の都市幻想を対象化する視線はほぼ英国人として成人した後にアメリカン・スラングを学習した経験によると論じたことがある。成人以後身につけた日本語で本書をまとめた王も日本人研究者にはない視座で村上春樹作品を見られるはずだ。今後の作品研究も期待したい。
2012/04/23
『桜伝説』、東京新聞2012年4月1日付にて紹介 桜伝説
桜伝説
 厳しい冬が終わり、ようやく桜の季節となった。長く日本人に愛されてきた桜には名木が多く、その地に生きた宮中人や武将や僧侶や民衆にまつわる伝説に事欠かない。太郎とおさつが力自慢を競い、石に桜を植えて育った盛岡市の石割桜、日蓮が落ち葉をまいて甦らせた樹齢二千年の山梨県北杜市の神代桜など、全国百二十七カ所の桜の伝説・伝承を写真とともに紹介する。
2012/03/21
『村上春樹と中国』、朝日新聞2012年3月18日付にて紹介 村上春樹と中国
村上春樹と中国
 上海の復旦大学で日本文学を研究する王海藍(ワン・ハイラン)さんが『村上春樹と中国』を出した。中国における村上文学受容の実態を社会や時代の状況と関連付ながら分析している。
 山東師範大学4年のときに『ノルウェイの森』を読んで、描かれている若者の孤独と喪失感に共鳴した。山東芸術学院で中国文化を教えるうちに自分のなかで「村上春樹熱」が高まり、2003年に日本へ。筑波大学大学院で文芸評論家黒古一夫さんの指導を受け、昨年、博士論文が受理された。初の著書はそれがもとになった。
 実証的な研究書だ。08年には1カ月かけて中国各地の大学22校を回り、3千人の学生を対象に村上文学の読書体験を調べた。汽車に17時間乗りつづけた日もある。学生の90%が村上の名前を知っており、56%が『ノルウェイの森』などを読んでいた。作品の印象ではやはり「孤独と喪失感」が多かった。村上作品の簡体字による翻訳が10年の時点で、132点あることも調べあげた。
 「高度経済成長の都会で豊かな消費生活を送りながら、中国の若者は精神的な飢餓感をかかえている。その心の空白を埋めているのが村上文学」と王さんはみる。
 日本での生活を支えてくれた長姉の王恋華さんは電気通信大学の助手だったが、交通事故で亡くなってしまった。本を受け取るために来日した王さんは「お姉さんに見せたかった」と涙ぐんだ。
 村上文学と出合い、人生は変わった。今後は、武田泰淳らほかの作家が中国でどう読まれているのかも研究したい。(一部抜粋)
2012/03/12
『寄り添って、寄り添われて』、仙台発・大人の情報誌『りらく』3月号にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
 それでなくても大変な人生なのに、はじめからハンディを背負って生まれてきた子供であれば誰しもその親の苦悩を思い、子の幸せを願うであろう。その思いを共有しながら病気と対峠し彼らに寄り添う小児科医の記録である。
 医師の役割は疾病を治すことだけだと考えるのが通常の感覚かもしれない。
 しかし単に疾病を治すのではなく患者の生活向上のための医療の提供、いわば患者側の視点に立った医療を追求している著者の深い思いは医療者と患者の真の平等な関係をつくることを目指す。
 「寄り添う医療」の原点は患者と家族の感情の起伏をくみ取り、時にはともに喜び、泣くという、極めて情緒的なものだ。著者の携わった宮城県立こども病院は病院らしくない病院で知られる。設立の請願書集めから理念創造、建設、道営までのできごとが熱い思いとエピソードを交え語られている。
 また患者や家族の生活をもっと知り、新たな関係を創出するため蔵王で毎年行っている2泊3日の難病キャンプも17回を数えた。
 このほか新生児集中治療室での闘い、重篤な疾患のある小児の奇跡の成長、小児医療を取り巻く現況と問題点、などが思想を持って語られている。このような経緯を経て著者は医療者と患者の関係は「ある時は寄り添い、ある時は逆に寄り添われ、そしてお互い同士が時々顔を見合わせて、微笑み合いながら歩き続けるということなのかもしれない」という考えに至る。
 そして明るく素直なダウン症の子供たちを人生の師匠と思うのである。
 著者はまるで神の前で心の軌跡も、告白も、そして覚悟もさらけ出している敬虔な信者のように思える。神とは当該の子供、親であり、彼らを取り巻くすべてである。
2012/03/06
『寄り添って、寄り添われて』、山陽新聞2012年2月27日付にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
 著者は30年以上のキャリアをもつ小児科医。小さな命を救う現場で医師が考えたことが切々とつづられている。
 四つ子の超低出生体重児の出産に立ち会い、1人が生後4日で亡くなることもあった。どんなに細心の注意を払おうとも免れることのできない事態にも、医師は常に対応を迫られている。医者と患者が顔を見合わせてほほ笑み合える治療現場が理想と説く。著者の温かいまなざしを感じる一冊だ。
2012/02/24
『やま かわ うみ vol.3 2011.冬』、週刊金曜日2012年2月17日/883号にて紹介 やま かわ うみ vol.3
やま かわ うみ
vol.3 2011.冬
 万物がアニマ(魂)を持っていた世界。そこから人間中心主義の現代と原発の関係性を見据える。再生とは何を意味するのか。
2012/02/15
『寄り添って、寄り添われて』、図書新聞2012年2月18日付にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
 医療の側にも「情緒的なもの」が必要だと述べていく著者の態度に感嘆せざるをえない。医師は患者(やその家族)に対して、なかなか「上下関係」を逸脱して接してくれることがないからだ。治療する、されるという関係は、医療技術だけに還元できることではない。シンプルにいえば、医師(や看護師)と患者(とその家族)といえども、それは人と人との関係性なのだ。そもそも「情緒的なもの」を排する必要はどこにもないといっていい。もちろん、医療する側からいえば、多くの患者たちの「死」に接して、その度に悲しみを共有することが、大変なことであることは分かるつもりだ。だからといって、そのことに慣れていくことを、わたしは良しとしたくはない。
 「私は、医療とは『思想を伴う行為』だと信じている。思想がなければただの行為であり、医術にすぎない。その思想とは、自己の培った意思の表出であり、相手(患者)の意思を引き出すものだ。その意思表出という共通の舞台が整った時に、医療の共同化が可能になるだろう」。
 著者が最後に込めたこの言葉は重い。「寄り添い、寄り添われる医療」とは、まさに意思の共同性をかたちづくることなのだ。このことをたんに理想のままではなく、現実のものになるよう、わたしたちもまた医療の側に働きかけていくべきであろう。(一部抜粋)
2012/02/15
『寄り添って、寄り添われて』、北國新聞・富山新聞2012年2月5日付にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
 著者は30年以上のキャリアをもつ小児科医。小さな命を救う現場で医師が考えたことが切々とつづられている。
 四つ子の超低出生体重児の出産に立ち会い、1人が生後4日で亡くなることもあった。どんなに細心の注意を払おうとも免れることのできない事態にも、医師は常に対応を迫られている。
 医者と患者が顔を見合わせてほほ笑み合える治療現場が理想と説く。著者の温かいまなざしを感じる一冊だ。
2012/02/15
『寄り添って、寄り添われて』、『仙台っこ』102号にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
 35年間の新生児―小児科医としての診察と生活の記録を1冊にしたものです。宮城県立子ども病院を作るまでのいきさつ、難病や障害を抱えた子どもたちや家族との付き合い、さらにご自身のことなど、読み物としてもそこらの小説よりも遥かに面白く感動的で、赤ちゃんに縁のない人でも興味深く読めてしまうことがまずは驚きです。そして堺先生の優しさ、誠実さが読む者の心に響きます。俵万智さんが帯に『命と向き合う数々のドラマに胸が熱くなりました』とメッセージを寄せていますが、お世辞ではないことが読むとわかるでしょう。(一部抜粋)
2012/02/01
『寄り添って、寄り添われて』、読売新聞地方版2012年1月31日付にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
患者に共感する医療模索

 県立こども病院の元副院長で小児科医の堺武男さん(62)(仙台市)が、患者やその家族との35年間の出会いを振り返る著書「寄り添って、寄り添われて」を出版した。子どもの奇跡的な回復、親の喜びや悲しみを前に、「患者に共感する医療」を模索してきた医師の苦悩と成長がつづられている。
 本の編集に携わる高校時代の友人に勧められ、2年半かけて執筆した。281ページにわたり、運営の一端を担う難病の子とのキャンプや、こども病院設立の裏話なども記した。
 4年前に「さかいたけお・赤ちゃんこどもクリニック」(仙台市青葉区)を開業。昨年の震災で石巻市の実家が全壊したが、クリニックは1日も休まなかった。
 今も診察しながら自問自答を繰り返す日々。「治す、治される、という関係が全てではない。患者と一緒に喜んだり泣いたりする情緒的なものが、医療にもっと必要なんです」。著者の真摯な姿勢が伝わる一冊だ。(一部抜粋)
2012/01/31
『寄り添って、寄り添われて』、河北新聞2012年1月に紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
――「河北春秋」コーナーにて、『寄り添って、寄り添われて』とともに著者の堺武男氏を紹介――

 昨年生まれた赤ちゃんは105万7千人にとどまった。おととしより1万4千人少なく、戦後最少という。「子どもの声が聞かれなくなった」と福島市の知人。原発事故は理不尽な少子化を強いる
 子どものいる風景への思いが募るが、現実はその育ちは軽んじられている。仙台市の小児科医堺武男さん(62)が近著『寄り添って、寄り添われて』で「子宝思想はどこに行った」と嘆いている
 予防接種の現状が「最貧国」と呼ばれても仕方ない水準にある。子どもの可能性が受験や企業での「商品価値」で決まる。何より、少子化が将来の労働力確保の問題として論じられていることに憤る
 新生児救急医療に携わる傍ら、蔵王難病キャンプに関わり、宮城県立こども病院の設立にも奔走した。「患者を医療ではなく、一人の人間の側から見る」ことによって体得した姿勢、それが寄り添うだ
 東日本大震災で子どもらが負った心身の傷は癒えていない。堺さん自身、石巻市の実家を津波で流されたが、ひるむ様子は全くない。優しさを気骨にまとって言う。「子どもを大事にしない国は滅びる」(一部抜粋)
2012/01/31
『「採訪」という旅』、図書新聞2012年1月1日付にて紹介 「採訪」という旅
「採訪」という旅
 タイトルにある「採訪」ということばにまず目を引かれる。本書は、長く國學院大學で教鞭をとった民俗学者、故野村純一の教え子たちが「採訪」に出て書いた文章からなっている。旅の魅力を十全に伝える民俗誌であり、「採訪」者のモチーフを知ることができるエッセイ集でもある。
 では「採訪」とは何か。編集後記で粂智子氏は、「出会う言葉に聴き耳を立て、風景に目を凝らし、土地の人々の思いに心を寄せる」旅だという野村敬子氏のことばを書きとどめている。敬子氏は野村純一の妻で、本書の終わりに「『採訪』という旅」という一文を寄せているが、民俗学史の中に「採訪」を位置づけていて読みごたえがある。
 「採訪」とは柳田國男の発想であり、民俗学草創期に「採集」とともに用いられたことばだった。語彙自体は古文書学『史料探索』からとったものだが、柳田の意を受けた折口信夫によって用いられ、國學院大學の民俗学の主軸たる方法論になったのである。
 私たちは本書から、「採訪」という豊饒な旅の道行きを知ることができるだろう。(一部抜粋)
2012/01/31
『「採訪」という旅』、東京新聞2011年11月6日付にて紹介 「採訪」という旅
「採訪」という旅
 人買いにつれ去られたわが子を思う母親の悲哀と、ただ一夜の邂逅を描いた能「隅田川」、不思議な肉を食したゆえに八百年という長い間生きる定めを与えられた八百比丘尼(やおびくに)の伝説など、全国各地にのこる女性たちの民間伝説・伝承を二十人の女性たちが蒐集。柳田国男らにより提唱された「採訪」と呼ばれるフィールドワークの記録から宿命や人間の絆、魂の問題を見つめる。
2011/08/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、『映画芸術』2011夏 436号にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 ここに登場する六〇年代からの日本の映画表現のパイオニアたちは、そのほとんどが三〇〜四〇年代初めの生まれであり、一九七四年生まれというまったく世代を異にするインタビュアーにきわめて率直に心を許して答えているのが印象的である。ていねいな準備のもとに時間をかけてインタビューしていて、蛇足的なディテール(例えば、松本俊夫が最初に見た映画が阪妻の時代劇『風雲将棋谷』だったなど)も重要なインフォメーションといえ、金井勝や原將人へのインタビューなど作品に立ち入った質問も多く、全体として記憶価値の高い貴重な聞き書き集である。この奇特な編集者の好奇心がなければ、この記録は存在しなかったという点で我々は著者に感謝すべきだろう。(一部抜粋)
2011/08/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、読売新聞2011年7月31日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 個人映画・実験映画とは純粋にアマチュアリズムに基礎を持つ。アマチュアを「何かを愛するもの」という原義に近づければ、個人映画とは、ただひたすら作品を映画への愛に委ねようとする行為にほかならないからだ。経済的な利益の追求は、そこでは不純な動機となる。
 だがそれは出発点にすぎない。「個人映画のつくり方」という副題をかかげた本書は、まさに純粋な映画への愛を守りながらもアマチュアの地平から離陸し、実験的・前衛的な「表現」を芸術行為として確立していった個人映画の作家たちの思想と軌跡を収めた、類例のない証言集である。
 個人芸術家にとって、芸術とは作者の「内的生理」であり、自らの歌を聴き、自らの鼓動を感じる人が、自らの生理に寄り添って生み出す表現だ、とブラッケージはいう。一方、一人の個の深いところを突き詰めていくと、何か本質的なものにぶつかるのだ、と原將人は語る。こうした東西の証言の響きあいの力は、これから生まれようとする若い個人映画作家の志を鼓舞するだろう。
 自らも個人映画に賭ける、編者の情熱の一つの結晶が本書である。(一部抜粋)
2011/08/10
黒古 一夫 著『「1Q84」批判と現代作家論』、上毛新聞2011年7月24日にて紹介 「1Q84」批判と現代作家論
「1Q84」批判と
現代作家論
 海外でも話題を集めた「1Q84」。本書では「世界的な作家・村上春樹の『虚像』だけが一人歩きしている」と熱狂ぶりに疑問を投げかける。そこには「純文学の不信」「出版不況」「商業主義」という社会状況が根底にあると説く。
 続く「辻井喬の文学」の項目では辻井が、学生時代の「革命運動」(政治運動)から実業家の世界に「転向」した後も、文学への執着をし続けた生きざまを紹介。「文学者にとって、自分の志を曲げることは『死』と同然。でも『転向』の経験が、辻井さんにとって大きな飛躍になったはずだ」と分析する。(一部抜粋)
2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、東京新聞・中日新聞2011年7月10日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏

 「自然と生きる 自然に生きる」をテーマに、各地の文化・民俗・歴史を紹介、考察する。既に創刊準備号として特集「山との対話」があるが、創刊号の特集は東日本大震災を受けての「災禍の記憶」。山折哲雄の巻頭インタビュー、金田久璋・西江雅之・服部文祥・季村敏夫らの被災地からのリポートやエッセー、富岡幸一郎・窪島誠一郎・前田速夫・正津勉・木津直人らの連載など。
 次号の特集は自然エネルギー技術を紹介する「〈めぐるめぐみ〉を生かす知恵」。自然と人間の関わりを探る〈読むネイチャー誌〉といえる。(一部抜粋)

2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、福井新聞2011年7月10日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏
 「自然と生きる 自然に生きる」をテーマに季刊の自然民俗誌「やま かわ うみ」がこのほど、創刊された。編集長は、大野市出身の詩人、正津勉さん。創刊号では東日本大震災の特集を組み、宗教学者、山折哲雄さんのインタビューをはじめ、日本民俗学会評議員の金田久璋さんによる若狭地方の津波伝説の論考、被災地リポートなどを収録した。正津さんは「3・11が何を意味するものなのか、考えていく雑誌にしたい」と意気込む。
 正津さんは6月、三陸方面を訪れた。「われわれは自然を蹂躙(じゅうりん)し効率ばかりを追い求め、原発のような制御できないものを造ってしまった。この震災を受け、雑誌で何をすべきか分かった」と語る。
 創刊号では、美浜町の金田久璋さんが、若狭の津波伝承について寄稿した。原発銀座とも呼ばれる地方にあって、特に美浜町には津波の伝承が集中するが、関連史料などは信頼性が低いとされてきた。金田さんは「常民の素朴な伝承は、なにがしかの歴史的事実(史実)が、何代にも渉(わた)って蓄積され継承してきたもの」と指摘。民衆の知恵に耳を傾ける必要性を訴える。(一部抜粋)
2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、福井新聞2011年6月19日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏

――「ふくい文学歳時記」コーナーにて、編集長の正津勉氏が福井県美浜町在住の金田久璋氏の寄稿文とともに、『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』を紹介――


 いまを去る四百年以上も前のこと。地震による津波に見舞われた若狭湾一帯では多数の被害がでた。そのことはいまもこの地で生々しくも脈々と語り継がれているという。
 ときにわたしは金田さんからその災禍についてきいた。どれほどの規模でどんな被害があったか。文献、最新先端の研究成果、昔話、などにおよび広く例証をあつめ探索する。
 地震が起こって、津波に襲われた。たしかに史実の通りである、としたら原発は無いのでは? 金田さんは力説する。記録だけにとどまらない。記憶としてはっきりとある。(一部抜粋)

2011/07/01
黒古 一夫 著『「1Q84」批判と現代作家論』、図書新聞2011年7月9日にて紹介 「1Q84」批判と現代作家論
「1Q84」批判と
現代作家論
 『1Q84』にコミューン運動とオウム真理教等を彷彿とさせるカリスマを抱く宗教団体を一緒くたにしたような団体が出てくることに著者が疑義を唱え、コミューン運動そのものへの批判的視座を強調している点は、他の章との関連性も深く、興味を引かれた。この本の主眼は、一九七〇年代以降の社会状況に作家がどのような態度をとってきたかを追ってゆくことにあると思われ、例えば第九章「村上龍・井上ひさし・大江健三郎における反ナショナル・アイデンティティ」においては、彼らが近代日本においてユートピア的コミューンを構築することの不可能性を描いてきたことが論じられている。
 著者が、近代日本の小説における「「個の共同性」によって立つ社会を模索すること」というテーマの挫折を位置づけていることは、今まさに再検討するべき問題であると思われる。この批判本は『1Q84』を論じることで、そのような「共同体に抗する共同性」とはどのようなものかを探ってゆくためのきっかけを示していると言うことができるだろう。(一部抜粋)
2011/06/27
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、日刊ゲンダイ2011年6月25日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏
 創刊号の特集は東日本大震災。宗教学者・山折哲雄が自然と日本人の思想について語った巻頭インタビューをはじめ、気仙沼市在住の民俗学者、国境なき技能団員による「震災ボランティアの記録」など12人が災禍の記憶をつづる。その他、編集代表人のひとりで詩人の正津勉氏によるエッセー、各地の民俗・地理学者が撮った写真など多数掲載。(一部抜粋)
2011/06/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、図書新聞2011年6月18日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 本書でクリス・マルケルが言う――《提示しなくてはならないのは、私自身だけである》。とりわけ「個人」は現在にあっては家庭用ビデオカメラの高品質化とノンリニア編集をつうじ技術援助すら受けていて、一般映画に対抗する「個人映画」は、まるで打ち込み音楽のように拙速に実現できるかにおもわれる。とりあえずはそうした現状を睨み、編者である個人映画作家・金子遊が邦洋を問わない、歴史的・現在的な「一人一派」の作家たちの営みを、インタビューを中心にした列伝形式で見事にまとめあげた。松本俊夫、かわなかのぶひろ、金井勝、出光真子……ただしここには一回性のつよいセルフドキュメンタリー作家が収められていない。創造的な撮影行為により映画をつくりかえた者のみが本書の俎上に載っている。(一部抜粋)
2011/06/06
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、『映像+11 ミュージックビデオとCMの現場』(グラフィック社)にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 50年代から60年代にかけての実験映画が、後年のコマーシャル映像やミュージック・ビデオに与えた影響は計りしれない。そのことからも分かるが、今日のMVやCM、映像アートの源流は個人映画、ビデオアート、メディアアートと称される実験映像にある。『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』は、前衛・実験映画の形成期から現代にいたるまで活躍し続けている、国内外の映像作家たちに取材し、その創作の秘密を「作家が同じ作り手へむけて発した言葉」によって構成する画期的な書物だ。
 ビデオカメラの高品質化とノンリニア編集の普及によって「映画」と「映像」の垣根が完全に取り払われた現代において、映像作家に必要なすべての知がこの一冊には詰まっている。(一部抜粋)
2011/06/06
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、北海道新聞2011年5月29日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 
2011/05/27
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、週刊金曜日2011年5月27日/848号にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 これは創作をめぐる書だ。「個人映画」という言葉に戸惑う必要はない。映像作家や詩人など10人の語りが創造に駆り立てるものを映し出す。
2011/05/16
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、東京新聞・中日新聞2011年5月8日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 この大部の労作が三部に構成されていることには、啓蒙的な意味が十分に表れている。第一章では個人映画・実験映画の歴史的な作家たち自身の発言を収め、第二章では、わが国の個人映画・実験映画の歴史に深く関わる作り手たちの発言を収める。そして第三章では、それらの作家たちの作品を批評・紹介するという構成である。
 編者金子遊の繊細な企図がそこに感じられる。個人映画・実験映画と言っても、その呼称から実体が失われてすでに久しいからだ。金子の企図には、1960年代に絶頂にあった個人映画・実験映画の面影が、実は現在こそまさに蘇りつつあることへの熱い思いがある。かつては面倒な手続きが必要だったそれは、いま一切の手続きが省略されたデジタル映像とパソコン上に移行し、個人の「内的な欲求」の実現がとても簡便で融通の利くものとなっている。映画がもう一度、個人の手許に帰っているという認識が金子にはある。
 第二章で作家たちから発せられる声の数々は、いまこの時代、膨大に撮られているだろう小さなビデオカメラによる個人的な映像の行方を見守っているようにも読めて、実に示唆的である。(一部抜粋)
2011/04/12
黒古 一夫 著『『1Q84』批判と現代作家論』、週刊読書人2011年4月8日にて紹介 『1Q84』批判と現代作家論
『1Q84』批判と
現代作家論
 本書は、『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(2007年、勉誠出版)につづく、黒古一夫による村上春樹論である。
 本書が関心を向けるのも、『1Q84』を支える相対主義的な思想であり、形骸化したポストモダニズム的感性である。要するに「何でもあり」の恣意性である。必ずしも平和的に並置させることも、共存させることもできない現実どうしが、ここでは矛盾も対立もないまま容易に結びつき共存してしまう。著者がとくに注目するのは、性暴力やカルト宗教やテロをめぐって展開されていく「悪」の問題が、結末に至って、「善」と対になる「悪」一般へと相対化されることで宙吊りにされ、見えなくなってしまう点である。
 村上春樹がいまなぜ世界中で読まれ、求められているのか。本書は、その理由と背景について考えるための貴重なヒントを与えてくれる。(一部抜粋)
2011/04/12
黒古 一夫 著『『1Q84』批判と現代作家論』、西日本新聞2011年4月3日にて紹介 『1Q84』批判と現代作家論
『1Q84』批判と
現代作家論
 善悪の境界があいまいな相対主義では現実に抗する力とはならない―。人間の生き方を問うのが文学との立場から、著者は村上春樹のベストセラー小説に疑義を呈する。北海道を自らの「根っ子」に現代社会を撃つ作家の特異性を指摘した小檜山博論、北海道ならではの精神的風土を重要な要素に挙げた三浦綾子論も同じ視座から。説得力ある文学評論集。
2011/03/28
富岡 幸一郎 監修『温泉小説』、中日新聞2011年3月27日にて紹介 温泉小説
温泉小説
 言語やイメージによる温泉の表象を、その構造や歴史に注意して読み解くのは、文化としての温泉を知る捷径(しょうけい)と考える。
 この方面で、日本の近代文学は宝の山だ。これほど多くの作家が温泉に通い、温泉風俗を描いた例は世界にあるまい。富岡幸一郎監修『温泉小説』(アーツアンドクラフツ)は、そうした温泉文学のアンソロジーだ。(一部抜粋)
2011/02/04
立松 和平ほか 著『立松和平 仏教対談集』、月刊「望星」2011年2月号にて紹介 立松和平 仏教対談集
立松和平 仏教対談集
 生きるとは何か、仏教とは何か――。
 昨年二月、惜しまれながら世を去った作家・立松和平が、玄侑宗久、山折哲雄、板橋興宗、足立倫行ら十一人の宗教者・作家たちと、時代と生活と宗教のかかわりを探った対談集。黒古一夫の解説も収録する。
2011/02/04
佐藤 公一 著『小林秀雄の日本主義』、早稲田大学国文学会機関誌『国文学研究』第161集にて紹介 小林秀雄の日本主義
小林秀雄の日本主義
 『本居宣長』の功罪を決定したのは、小林秀雄が生涯貫いた「批評とはオマージュである」という姿勢にある事を本書は暴いている。(略)宣長や小林に寄りそった本書は、彼らの研究に対する並々ならぬエネルギーを伝える事に成功している。文学を学ぶ者にとって、刺激的な一冊であることは間違いない。
2010/06/20
田山 凖一 著『歳月の彩り』、神奈川新聞2010年6月20日にて紹介 歳月の彩り
歳月の彩り
 横浜で生まれ、横須賀・馬堀で育った著者の幼少期の思い出は牧歌的だ。闇夜に舟を出し、海蛍が光る水面めがけて網でワタリガニをすくう。コツは思いっきり水面をたたくように網をかぶせる、といった講釈は、だれかが記録に残さないと、民俗史からも忘れられてしまう。
2010/05/13
田山 凖一 著『歳月の彩り』、神奈川新聞2010年5月11日にて紹介 歳月の彩り
歳月の彩り
 田山さんの子ども時代から、日々感じていることまでを「自分史的」にまとめたもの。田山さんが体験した戦前・戦後の「食」の事情、昔の三崎の魚市場で使われていた独特の言葉や日常風景、マグロの取引にかかわる人間模様や業界の盛衰などが描かれている。
 マグロ漁業で活況を呈した三崎を知る田山さんは「今の三崎は漁港ではなく、観光のまちに変化した。魚市場(いさば)の言葉や食の大切さを、若い世代は忘れかけている。現場に近い人の目で見たものを残したかった」と話している。
2010/03/29
『野見山暁治 全版画』、月刊美術2010年3月号にて紹介 野見山暁治 全版画
野見山暁治 全版画
 銅版画、リトグラフ、モノタイプ、シルクスクリーンなど全305点を収録。
2010/03/29
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、季刊『銀花』161号(2010年2月)にて紹介 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 書物、その悦楽の世界へ―
 一昨年早世した美術史家が生前、誌紙やウェブサイトで発表した論考八十余編を収録。(略)愛書家の手から手へ受け継がれ、美術館などの表舞台に現れることはほとんどない稀覯本の世界を知る、よき指南書となるだろう。豪華な西洋の革製本から和装本まで自在にめぐる筆致は、コレクターらしく書物への愛情にあふれ、初心者にも親しみやすい。
2010/03/16
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、東京新聞2010年2月14日にて紹介 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 美しい印刷と挿絵、繊細な箔押し装飾、ルネサンス期の総革装本、宝石がちりばめられた豪華本、すべて手作りの一点製作本、そして個性的な蔵書票―。西洋の芸術的な書籍を狩猟しつつ、日本における愛書趣味の推移や印刷と製本の歴史をひもとく。モノとしての本の魅力と価値をうたったエッセー集。百七十点の貴重な図版も収録。
2009/12/14
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、週刊文春12月17日号にて紹介(鹿島茂 評) 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 気谷さんの凄いところは書誌学的な知識に非常に詳しく、手に入れようとする(あるいは手に入れた)本の情報を徹底的に調べ尽くしたことだ。この意味で、本書はフランス古書に親しもうとする者にとって最高の指針となるにちがいない。
2009/08/10
佐藤公一著『小林秀雄の超=近代』、図書新聞2009年8月15日2930号にて紹介 小林秀雄の超=近代
小林秀雄の超=近代
 小林秀雄について論を立てる時、否定的になるか肯定的になるかはっきり分かれる。著者の立場は後者、肯定派である。本書は小林の『近代絵画』を素材に美術、色彩について論じるのだが、小林の感覚がとらえる美をさらに噛み砕いて解説する、というかたちになる。いわば小林の書いたテクストを講義するのである。(略)断定的な小林の文章は解釈が必要であり、解読はその読者の責任である。しかし、批評家としての食指もまた、そこにはたらくのである。
2009/08/10
秋山 駿・富岡 幸一郎編『私小説の生き方』、東京新聞2009年7月19日にて紹介 私小説の生き方
私小説の生き方
 人生を作品化し、作品の中で実人生を生きる特異な文芸である私小説。読み巧者の文芸評論家が、〈人生〉と〈夫婦と恋人〉〈家族〉の三テーマにそって、太宰治や牧野信一、藤枝静男ら十八人の作家の名作を選び、その根強い人気と底流する思想を語る。また結婚や老い、貧困など人生の転機や苦難を迎える心構えもこめられている。
2009/07/21
秋山 駿・富岡 幸一郎編『私小説の生き方』、小学館「本の窓」2009年8月号にて紹介 私小説の生き方
私小説の生き方
 戦後文学はもちろん、村上春樹の『1Q84』もふくめ、なんだか文学がずいぶん遠くなってしまった。日常生活では、問題が山積しているにもかかわらず、どうも文学は頼りにならない。昔は「困ったら小説を読め」ということで、確かに役に立ったのですが……。
 本書は、明治の田山花袋から昭和40年代の藤枝静男まで、18人の私小説家が、貧困・介護・老い・結婚など、人生の難問に立ち向かった小説集です。これらを読むと、昔も今も、「何も変らないじゃないか」と思います。(一部抜粋)
2009/06/16
小川和佑著『辻井喬 ――創造と純化』、詩マガジン「PO」2009年夏号にて紹介(尾崎まこと 評) 辻井喬
辻井喬
小川氏の文章を読み進めると、一枚一枚、「隠喩」というお札をはがされ次第に辻井さんの全貌が顕わになってくる。そのスリルと喜び、をぜひみなさんにも味わっていただきたい。(略)戦後半世紀を越え、時代とがっぷり四つの戦いを繰り広げてきた巨大な辻井文学を素材に選ぶことによって、文学と日本文化の危機を鋭敏に感受し的確に指摘してきた文芸評論家の、書かれるべくして書かれた、私たちの道標のような本であると思う。
2009/03/16
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、東京新聞2009年3月1日にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
この半世紀で生活は大きく変わったが、変われば変わるほど、昔話の思い出や、そこから再現された古人の暮らしや心は輝いて見える。フォークロアの根強い人気に支えられ読まれている。
2009/02/25
益田祐作著『行動する眼』、月刊「みすず」2009年1・2月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
益田祐作氏が、自ら企画した展覧会のたびに書き続けた作家論の集大成。現代では独自の行動が、経済性からも、業界からも、メディアからも、いかに遠く隔たっていることか。そのリスクのすべてを引き受けつつ綴られた批評の透明度と迫力は、そこらの美術批評では及びもつかない。
2008/12/05
益田祐作著『行動する眼』、福井新聞2008年11月6日にて紹介 行動する眼
行動する眼
著者は、1991年から2006年まで東京で画廊「ギャルリーMMG」を開いていた益田祐作さん。自ら国内外に赴き、有名無名にかかわらず独自の哲学で選んだ作家に展示会を持ち掛けた人物だ。展示会では、益田さんが熱っぽくつづる作家論入りのパンフレットがつくられた。本書にはこの中から国内外44人分を収録。本県からは橿尾さん、現代書家の山本廣さん(鯖江市)、現代美術作家の岩本宇司さん(福井市)の3人を取り上げた。
2008/12/05
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、「Well Life」2008年10月号にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
ネズミと人間の深い友好、食をめぐる根源的なテーマなど、昔話・口承文芸学の第一人者が東北地方から中国、インドまでを訪ね歩く。啓示や示唆に富む味わい深いエッセイ。
2008/12/05
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、「こどもとしょかん」2008年夏号にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
昨年逝去した口承文芸学の第一人者の昔話に関する既出随筆を集成。雪国は他所に比べてより良く昔話を伝えてきたという著者が、11篇の昔話を紹介する「雪国の昔話」他23篇。
2008/10/01
富岡幸一郎編『温泉小説』収載、織田作之助著『雪の夜』J-Bstyle 2008年10-11月号にて紹介 温泉小説
温泉小説
『別府の道頓堀』とも呼ばれた繁華街、流川通りは多くの文学作品に描かれてきた。織田作之助の短編小説はその代表格。大晦日の流川通り。落ちぶれた易者・坂田の前に、かつての恋敵が現れる。読めば別府の街歩きがより楽しめるはず。
2008/10/01
正津勉著『嬉遊曲』、山と渓谷 2008年10月号にて紹介(浜田優 評) 嬉遊曲
嬉遊曲(特装版)
嬉遊曲
嬉遊曲(普及版)
山を往く新詩集である。(中略)本書には、山行途中に遭遇した草木や鳥獣虫魚とのつかのまの交情を、簡潔にリズミカルに切り取った詩篇が並ぶ。(中略)詩人の山旅はまだまだ終わらない
2008/09/01
正津勉著『嬉遊曲』、山の本 2008年秋号にて紹介(山本正雄 評) 嬉遊曲
嬉遊曲(特装版)
嬉遊曲
嬉遊曲(普及版)
平易な言葉で紡がれる深遠な世界。著者が十余年にわたって山を逍遙するうちに出会った山川草木、鳥獣虫魚、雲風湯酒が独特なリズムと語り口で淡々と詠われている。(中略)普段から詩というものにあまり親しんで来なかった評者にも十分楽しめる内容だ。
2008/09/01
益田祐作著『行動する眼』、美術の窓 2008年9月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
今は無きギャルリーMMGの軌跡(中略)画家・野見山暁治氏がまえがきで『日本の画廊での唯一の良心だった』と語るMMG、その閉廊が惜しまれる。
2008/07/01
益田祐作著『行動する眼』、芸術新潮 2008年7月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
本書には、15年にわたりユニークな企画展を繰り広げたこの画廊の主人が書き綴った現代美術に関する評論や作品論がまとめられている。
(中略)
ここにあるのは、自らの眼と感動を信じ、安直に傾く現代美術の流れに抗して戦った男の熱い記録である。
2008/05/15
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年5月11日の東京中日新聞で紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
 
2008/04/30
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年4月27日の朝日新聞で紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
 
2008/04/10
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年4月6日の産経新聞で紹介(赤坂憲雄 評)
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昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
この小さな書物は、細部に眼を凝らす者らにたいして、いくつもの啓示に満ちた発見をもたらすにちがいない。それにしても、いまも昔話の旅は可能か、と呟かずにはいられない。(一部抜粋)
2008/04/10
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年3月30日の毎日新聞で紹介(池内紀 評)
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昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
『昔話の旅 語りの旅』には、1970年代半ばから20年あまりの間につづられた24編が収めてある。雪国が昔話の宝庫であって、主に囲炉裏で語られてきた。それはよく言われることだが、そこで聞き取った話と類話を引きくらべ、雪国に生きる人々の「屈曲した発想を垣間見る思い」を書きとめるのは、なかなかできないことだろう。(一部抜粋)
2008/01/28
服部満千子著『伊子と資盛』、2008年1月24日の東京新聞(夕刊)で紹介 伊子と資盛
伊子と資盛
 
2007/09/16
佐藤公一著『小林秀雄のコア』、2007年9月16日の東京新聞で紹介 小林秀雄のコア
小林秀雄のコア
そもそも小説を批評するという行為はどういう意味を持つのか。文学に内在する力、芸術が生み出すものとは何なのだろうか。小林秀雄の文芸批評に対する初期のスタンスをひもとき、その後生涯にわたり彼が貫いた印象批評の核心を照射した一冊。プロレタリア文学とのかかわり、中野重治やモーツァルトへの共振など軌跡をたどりながら、この稀有な文学者の全体像に迫る。
2007/07/12
小川和佑著『花とことばの文化誌』、2007年7月12日の東京中日新聞で紹介 花とことばの文化誌
花とことばの文化誌
五節句、唱歌と童謡、古典文学や現代文学にあらわれた花を渉猟し、花とともにあった生活、花によせたことばのことばの力を見つめ直す。
2007/07
杉原志啓著『音楽の記憶』、2007年7月号の表現者で紹介 音楽の記憶
音楽の記憶
これからは歌謡曲の範疇にJ-POPと呼ばれるものを含めた音楽批評が、日本の流行歌=POPSというカテゴリーで成熟しなければならないのだが、本書はそんな画期的な、革命的な概念構築に寄与する一冊であることも付記しておきたい
2007/07
小川和佑著『桜と日本文化』、2007年7月5日号のサライで紹介 桜と日本文化
桜と日本文化
記紀から現代小説まで桜のイメージの変遷史