書評・紹介

2012/02/01
『寄り添って、寄り添われて』、読売新聞地方版2012年1月31日付にて紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
患者に共感する医療模索

 県立こども病院の元副院長で小児科医の堺武男さん(62)(仙台市)が、患者やその家族との35年間の出会いを振り返る著書「寄り添って、寄り添われて」を出版した。子どもの奇跡的な回復、親の喜びや悲しみを前に、「患者に共感する医療」を模索してきた医師の苦悩と成長がつづられている。
 本の編集に携わる高校時代の友人に勧められ、2年半かけて執筆した。281ページにわたり、運営の一端を担う難病の子とのキャンプや、こども病院設立の裏話なども記した。
 4年前に「さかいたけお・赤ちゃんこどもクリニック」(仙台市青葉区)を開業。昨年の震災で石巻市の実家が全壊したが、クリニックは1日も休まなかった。
 今も診察しながら自問自答を繰り返す日々。「治す、治される、という関係が全てではない。患者と一緒に喜んだり泣いたりする情緒的なものが、医療にもっと必要なんです」。著者の真摯な姿勢が伝わる一冊だ。(一部抜粋)
2012/01/31
『寄り添って、寄り添われて』、河北新聞2012年1月に紹介 寄り添って、寄り添われて
寄り添って、寄り添われて
――「河北春秋」コーナーにて、『寄り添って、寄り添われて』とともに著者の堺武男氏を紹介――

 昨年生まれた赤ちゃんは105万7千人にとどまった。おととしより1万4千人少なく、戦後最少という。「子どもの声が聞かれなくなった」と福島市の知人。原発事故は理不尽な少子化を強いる
 子どものいる風景への思いが募るが、現実はその育ちは軽んじられている。仙台市の小児科医堺武男さん(62)が近著『寄り添って、寄り添われて』で「子宝思想はどこに行った」と嘆いている
 予防接種の現状が「最貧国」と呼ばれても仕方ない水準にある。子どもの可能性が受験や企業での「商品価値」で決まる。何より、少子化が将来の労働力確保の問題として論じられていることに憤る
 新生児救急医療に携わる傍ら、蔵王難病キャンプに関わり、宮城県立こども病院の設立にも奔走した。「患者を医療ではなく、一人の人間の側から見る」ことによって体得した姿勢、それが寄り添うだ
 東日本大震災で子どもらが負った心身の傷は癒えていない。堺さん自身、石巻市の実家を津波で流されたが、ひるむ様子は全くない。優しさを気骨にまとって言う。「子どもを大事にしない国は滅びる」(一部抜粋)
2012/01/31
『「採訪」という旅』、図書新聞2012年1月1日付にて紹介 「採訪」という旅
「採訪」という旅
 タイトルにある「採訪」ということばにまず目を引かれる。本書は、長く國學院大學で教鞭をとった民俗学者、故野村純一の教え子たちが「採訪」に出て書いた文章からなっている。旅の魅力を十全に伝える民俗誌であり、「採訪」者のモチーフを知ることができるエッセイ集でもある。
 では「採訪」とは何か。編集後記で粂智子氏は、「出会う言葉に聴き耳を立て、風景に目を凝らし、土地の人々の思いに心を寄せる」旅だという野村敬子氏のことばを書きとどめている。敬子氏は野村純一の妻で、本書の終わりに「『採訪』という旅」という一文を寄せているが、民俗学史の中に「採訪」を位置づけていて読みごたえがある。
 「採訪」とは柳田國男の発想であり、民俗学草創期に「採集」とともに用いられたことばだった。語彙自体は古文書学『史料探索』からとったものだが、柳田の意を受けた折口信夫によって用いられ、國學院大學の民俗学の主軸たる方法論になったのである。
 私たちは本書から、「採訪」という豊饒な旅の道行きを知ることができるだろう。(一部抜粋)
2012/01/31
『「採訪」という旅』、東京新聞2011年11月6日付にて紹介 「採訪」という旅
「採訪」という旅
 人買いにつれ去られたわが子を思う母親の悲哀と、ただ一夜の邂逅を描いた能「隅田川」、不思議な肉を食したゆえに八百年という長い間生きる定めを与えられた八百比丘尼(やおびくに)の伝説など、全国各地にのこる女性たちの民間伝説・伝承を二十人の女性たちが蒐集。柳田国男らにより提唱された「採訪」と呼ばれるフィールドワークの記録から宿命や人間の絆、魂の問題を見つめる。
2011/08/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、『映画芸術』2011夏 436号にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 ここに登場する六〇年代からの日本の映画表現のパイオニアたちは、そのほとんどが三〇〜四〇年代初めの生まれであり、一九七四年生まれというまったく世代を異にするインタビュアーにきわめて率直に心を許して答えているのが印象的である。ていねいな準備のもとに時間をかけてインタビューしていて、蛇足的なディテール(例えば、松本俊夫が最初に見た映画が阪妻の時代劇『風雲将棋谷』だったなど)も重要なインフォメーションといえ、金井勝や原將人へのインタビューなど作品に立ち入った質問も多く、全体として記憶価値の高い貴重な聞き書き集である。この奇特な編集者の好奇心がなければ、この記録は存在しなかったという点で我々は著者に感謝すべきだろう。(一部抜粋)
2011/08/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、読売新聞2011年7月31日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 個人映画・実験映画とは純粋にアマチュアリズムに基礎を持つ。アマチュアを「何かを愛するもの」という原義に近づければ、個人映画とは、ただひたすら作品を映画への愛に委ねようとする行為にほかならないからだ。経済的な利益の追求は、そこでは不純な動機となる。
 だがそれは出発点にすぎない。「個人映画のつくり方」という副題をかかげた本書は、まさに純粋な映画への愛を守りながらもアマチュアの地平から離陸し、実験的・前衛的な「表現」を芸術行為として確立していった個人映画の作家たちの思想と軌跡を収めた、類例のない証言集である。
 個人芸術家にとって、芸術とは作者の「内的生理」であり、自らの歌を聴き、自らの鼓動を感じる人が、自らの生理に寄り添って生み出す表現だ、とブラッケージはいう。一方、一人の個の深いところを突き詰めていくと、何か本質的なものにぶつかるのだ、と原將人は語る。こうした東西の証言の響きあいの力は、これから生まれようとする若い個人映画作家の志を鼓舞するだろう。
 自らも個人映画に賭ける、編者の情熱の一つの結晶が本書である。(一部抜粋)
2011/08/10
黒古 一夫 著『「1Q84」批判と現代作家論』、上毛新聞2011年7月24日にて紹介 「1Q84」批判と現代作家論
「1Q84」批判と
現代作家論
 海外でも話題を集めた「1Q84」。本書では「世界的な作家・村上春樹の『虚像』だけが一人歩きしている」と熱狂ぶりに疑問を投げかける。そこには「純文学の不信」「出版不況」「商業主義」という社会状況が根底にあると説く。
 続く「辻井喬の文学」の項目では辻井が、学生時代の「革命運動」(政治運動)から実業家の世界に「転向」した後も、文学への執着をし続けた生きざまを紹介。「文学者にとって、自分の志を曲げることは『死』と同然。でも『転向』の経験が、辻井さんにとって大きな飛躍になったはずだ」と分析する。(一部抜粋)
2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、東京新聞・中日新聞2011年7月10日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏

 「自然と生きる 自然に生きる」をテーマに、各地の文化・民俗・歴史を紹介、考察する。既に創刊準備号として特集「山との対話」があるが、創刊号の特集は東日本大震災を受けての「災禍の記憶」。山折哲雄の巻頭インタビュー、金田久璋・西江雅之・服部文祥・季村敏夫らの被災地からのリポートやエッセー、富岡幸一郎・窪島誠一郎・前田速夫・正津勉・木津直人らの連載など。
 次号の特集は自然エネルギー技術を紹介する「〈めぐるめぐみ〉を生かす知恵」。自然と人間の関わりを探る〈読むネイチャー誌〉といえる。(一部抜粋)

2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、福井新聞2011年7月10日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏
 「自然と生きる 自然に生きる」をテーマに季刊の自然民俗誌「やま かわ うみ」がこのほど、創刊された。編集長は、大野市出身の詩人、正津勉さん。創刊号では東日本大震災の特集を組み、宗教学者、山折哲雄さんのインタビューをはじめ、日本民俗学会評議員の金田久璋さんによる若狭地方の津波伝説の論考、被災地リポートなどを収録した。正津さんは「3・11が何を意味するものなのか、考えていく雑誌にしたい」と意気込む。
 正津さんは6月、三陸方面を訪れた。「われわれは自然を蹂躙(じゅうりん)し効率ばかりを追い求め、原発のような制御できないものを造ってしまった。この震災を受け、雑誌で何をすべきか分かった」と語る。
 創刊号では、美浜町の金田久璋さんが、若狭の津波伝承について寄稿した。原発銀座とも呼ばれる地方にあって、特に美浜町には津波の伝承が集中するが、関連史料などは信頼性が低いとされてきた。金田さんは「常民の素朴な伝承は、なにがしかの歴史的事実(史実)が、何代にも渉(わた)って蓄積され継承してきたもの」と指摘。民衆の知恵に耳を傾ける必要性を訴える。(一部抜粋)
2011/07/26
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、福井新聞2011年6月19日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏

――「ふくい文学歳時記」コーナーにて、編集長の正津勉氏が福井県美浜町在住の金田久璋氏の寄稿文とともに、『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』を紹介――


 いまを去る四百年以上も前のこと。地震による津波に見舞われた若狭湾一帯では多数の被害がでた。そのことはいまもこの地で生々しくも脈々と語り継がれているという。
 ときにわたしは金田さんからその災禍についてきいた。どれほどの規模でどんな被害があったか。文献、最新先端の研究成果、昔話、などにおよび広く例証をあつめ探索する。
 地震が起こって、津波に襲われた。たしかに史実の通りである、としたら原発は無いのでは? 金田さんは力説する。記録だけにとどまらない。記憶としてはっきりとある。(一部抜粋)

2011/07/01
黒古 一夫 著『「1Q84」批判と現代作家論』、図書新聞2011年7月9日にて紹介 「1Q84」批判と現代作家論
「1Q84」批判と
現代作家論
 『1Q84』にコミューン運動とオウム真理教等を彷彿とさせるカリスマを抱く宗教団体を一緒くたにしたような団体が出てくることに著者が疑義を唱え、コミューン運動そのものへの批判的視座を強調している点は、他の章との関連性も深く、興味を引かれた。この本の主眼は、一九七〇年代以降の社会状況に作家がどのような態度をとってきたかを追ってゆくことにあると思われ、例えば第九章「村上龍・井上ひさし・大江健三郎における反ナショナル・アイデンティティ」においては、彼らが近代日本においてユートピア的コミューンを構築することの不可能性を描いてきたことが論じられている。
 著者が、近代日本の小説における「「個の共同性」によって立つ社会を模索すること」というテーマの挫折を位置づけていることは、今まさに再検討するべき問題であると思われる。この批判本は『1Q84』を論じることで、そのような「共同体に抗する共同性」とはどのようなものかを探ってゆくためのきっかけを示していると言うことができるだろう。(一部抜粋)
2011/06/27
『やま かわ うみ 創刊号 2011.夏』、日刊ゲンダイ2011年6月25日にて紹介 やま かわ うみ 創刊号
やま かわ うみ
創刊号 2011.夏
 創刊号の特集は東日本大震災。宗教学者・山折哲雄が自然と日本人の思想について語った巻頭インタビューをはじめ、気仙沼市在住の民俗学者、国境なき技能団員による「震災ボランティアの記録」など12人が災禍の記憶をつづる。その他、編集代表人のひとりで詩人の正津勉氏によるエッセー、各地の民俗・地理学者が撮った写真など多数掲載。(一部抜粋)
2011/06/10
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、図書新聞2011年6月18日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 本書でクリス・マルケルが言う――《提示しなくてはならないのは、私自身だけである》。とりわけ「個人」は現在にあっては家庭用ビデオカメラの高品質化とノンリニア編集をつうじ技術援助すら受けていて、一般映画に対抗する「個人映画」は、まるで打ち込み音楽のように拙速に実現できるかにおもわれる。とりあえずはそうした現状を睨み、編者である個人映画作家・金子遊が邦洋を問わない、歴史的・現在的な「一人一派」の作家たちの営みを、インタビューを中心にした列伝形式で見事にまとめあげた。松本俊夫、かわなかのぶひろ、金井勝、出光真子……ただしここには一回性のつよいセルフドキュメンタリー作家が収められていない。創造的な撮影行為により映画をつくりかえた者のみが本書の俎上に載っている。(一部抜粋)
2011/06/06
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、『映像+11 ミュージックビデオとCMの現場』(グラフィック社)にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 50年代から60年代にかけての実験映画が、後年のコマーシャル映像やミュージック・ビデオに与えた影響は計りしれない。そのことからも分かるが、今日のMVやCM、映像アートの源流は個人映画、ビデオアート、メディアアートと称される実験映像にある。『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』は、前衛・実験映画の形成期から現代にいたるまで活躍し続けている、国内外の映像作家たちに取材し、その創作の秘密を「作家が同じ作り手へむけて発した言葉」によって構成する画期的な書物だ。
 ビデオカメラの高品質化とノンリニア編集の普及によって「映画」と「映像」の垣根が完全に取り払われた現代において、映像作家に必要なすべての知がこの一冊には詰まっている。(一部抜粋)
2011/06/06
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、北海道新聞2011年5月29日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 
2011/05/27
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、週刊金曜日2011年5月27日/848号にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 これは創作をめぐる書だ。「個人映画」という言葉に戸惑う必要はない。映像作家や詩人など10人の語りが創造に駆り立てるものを映し出す。
2011/05/16
金子 遊 編著『フィルムメーカーズ』、東京新聞・中日新聞2011年5月8日にて紹介 フィルムメーカーズ
フィルム
メーカーズ
 この大部の労作が三部に構成されていることには、啓蒙的な意味が十分に表れている。第一章では個人映画・実験映画の歴史的な作家たち自身の発言を収め、第二章では、わが国の個人映画・実験映画の歴史に深く関わる作り手たちの発言を収める。そして第三章では、それらの作家たちの作品を批評・紹介するという構成である。
 編者金子遊の繊細な企図がそこに感じられる。個人映画・実験映画と言っても、その呼称から実体が失われてすでに久しいからだ。金子の企図には、1960年代に絶頂にあった個人映画・実験映画の面影が、実は現在こそまさに蘇りつつあることへの熱い思いがある。かつては面倒な手続きが必要だったそれは、いま一切の手続きが省略されたデジタル映像とパソコン上に移行し、個人の「内的な欲求」の実現がとても簡便で融通の利くものとなっている。映画がもう一度、個人の手許に帰っているという認識が金子にはある。
 第二章で作家たちから発せられる声の数々は、いまこの時代、膨大に撮られているだろう小さなビデオカメラによる個人的な映像の行方を見守っているようにも読めて、実に示唆的である。(一部抜粋)
2011/04/12
黒古 一夫 著『『1Q84』批判と現代作家論』、週刊読書人2011年4月8日にて紹介 『1Q84』批判と現代作家論
『1Q84』批判と
現代作家論
 本書は、『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(2007年、勉誠出版)につづく、黒古一夫による村上春樹論である。
 本書が関心を向けるのも、『1Q84』を支える相対主義的な思想であり、形骸化したポストモダニズム的感性である。要するに「何でもあり」の恣意性である。必ずしも平和的に並置させることも、共存させることもできない現実どうしが、ここでは矛盾も対立もないまま容易に結びつき共存してしまう。著者がとくに注目するのは、性暴力やカルト宗教やテロをめぐって展開されていく「悪」の問題が、結末に至って、「善」と対になる「悪」一般へと相対化されることで宙吊りにされ、見えなくなってしまう点である。
 村上春樹がいまなぜ世界中で読まれ、求められているのか。本書は、その理由と背景について考えるための貴重なヒントを与えてくれる。(一部抜粋)
2011/04/12
黒古 一夫 著『『1Q84』批判と現代作家論』、西日本新聞2011年4月3日にて紹介 『1Q84』批判と現代作家論
『1Q84』批判と
現代作家論
 善悪の境界があいまいな相対主義では現実に抗する力とはならない―。人間の生き方を問うのが文学との立場から、著者は村上春樹のベストセラー小説に疑義を呈する。北海道を自らの「根っ子」に現代社会を撃つ作家の特異性を指摘した小檜山博論、北海道ならではの精神的風土を重要な要素に挙げた三浦綾子論も同じ視座から。説得力ある文学評論集。
2011/03/28
富岡 幸一郎 監修『温泉小説』、中日新聞2011年3月27日にて紹介 温泉小説
温泉小説
 言語やイメージによる温泉の表象を、その構造や歴史に注意して読み解くのは、文化としての温泉を知る捷径(しょうけい)と考える。
 この方面で、日本の近代文学は宝の山だ。これほど多くの作家が温泉に通い、温泉風俗を描いた例は世界にあるまい。富岡幸一郎監修『温泉小説』(アーツアンドクラフツ)は、そうした温泉文学のアンソロジーだ。(一部抜粋)
2011/02/04
立松 和平ほか 著『立松和平 仏教対談集』、月刊「望星」2011年2月号にて紹介 立松和平 仏教対談集
立松和平 仏教対談集
 生きるとは何か、仏教とは何か――。
 昨年二月、惜しまれながら世を去った作家・立松和平が、玄侑宗久、山折哲雄、板橋興宗、足立倫行ら十一人の宗教者・作家たちと、時代と生活と宗教のかかわりを探った対談集。黒古一夫の解説も収録する。
2011/02/04
佐藤 公一 著『小林秀雄の日本主義』、早稲田大学国文学会機関誌『国文学研究』第161集にて紹介 小林秀雄の日本主義
小林秀雄の日本主義
 『本居宣長』の功罪を決定したのは、小林秀雄が生涯貫いた「批評とはオマージュである」という姿勢にある事を本書は暴いている。(略)宣長や小林に寄りそった本書は、彼らの研究に対する並々ならぬエネルギーを伝える事に成功している。文学を学ぶ者にとって、刺激的な一冊であることは間違いない。
2010/06/20
田山 凖一 著『歳月の彩り』、神奈川新聞2010年6月20日にて紹介 歳月の彩り
歳月の彩り
 横浜で生まれ、横須賀・馬堀で育った著者の幼少期の思い出は牧歌的だ。闇夜に舟を出し、海蛍が光る水面めがけて網でワタリガニをすくう。コツは思いっきり水面をたたくように網をかぶせる、といった講釈は、だれかが記録に残さないと、民俗史からも忘れられてしまう。
2010/05/13
田山 凖一 著『歳月の彩り』、神奈川新聞2010年5月11日にて紹介 歳月の彩り
歳月の彩り
 田山さんの子ども時代から、日々感じていることまでを「自分史的」にまとめたもの。田山さんが体験した戦前・戦後の「食」の事情、昔の三崎の魚市場で使われていた独特の言葉や日常風景、マグロの取引にかかわる人間模様や業界の盛衰などが描かれている。
 マグロ漁業で活況を呈した三崎を知る田山さんは「今の三崎は漁港ではなく、観光のまちに変化した。魚市場(いさば)の言葉や食の大切さを、若い世代は忘れかけている。現場に近い人の目で見たものを残したかった」と話している。
2010/03/29
『野見山暁治 全版画』、月刊美術2010年3月号にて紹介 野見山暁治 全版画
野見山暁治 全版画
 銅版画、リトグラフ、モノタイプ、シルクスクリーンなど全305点を収録。
2010/03/29
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、季刊『銀花』161号(2010年2月)にて紹介 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 書物、その悦楽の世界へ―
 一昨年早世した美術史家が生前、誌紙やウェブサイトで発表した論考八十余編を収録。(略)愛書家の手から手へ受け継がれ、美術館などの表舞台に現れることはほとんどない稀覯本の世界を知る、よき指南書となるだろう。豪華な西洋の革製本から和装本まで自在にめぐる筆致は、コレクターらしく書物への愛情にあふれ、初心者にも親しみやすい。
2010/03/16
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、東京新聞2010年2月14日にて紹介 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 美しい印刷と挿絵、繊細な箔押し装飾、ルネサンス期の総革装本、宝石がちりばめられた豪華本、すべて手作りの一点製作本、そして個性的な蔵書票―。西洋の芸術的な書籍を狩猟しつつ、日本における愛書趣味の推移や印刷と製本の歴史をひもとく。モノとしての本の魅力と価値をうたったエッセー集。百七十点の貴重な図版も収録。
2009/12/14
気谷誠 著『西洋挿絵見聞録』、週刊文春12月17日号にて紹介(鹿島茂 評) 西洋挿絵見聞録
西洋挿絵見聞録
 気谷さんの凄いところは書誌学的な知識に非常に詳しく、手に入れようとする(あるいは手に入れた)本の情報を徹底的に調べ尽くしたことだ。この意味で、本書はフランス古書に親しもうとする者にとって最高の指針となるにちがいない。
2009/08/10
佐藤公一著『小林秀雄の超=近代』、図書新聞2009年8月15日2930号にて紹介 小林秀雄の超=近代
小林秀雄の超=近代
 小林秀雄について論を立てる時、否定的になるか肯定的になるかはっきり分かれる。著者の立場は後者、肯定派である。本書は小林の『近代絵画』を素材に美術、色彩について論じるのだが、小林の感覚がとらえる美をさらに噛み砕いて解説する、というかたちになる。いわば小林の書いたテクストを講義するのである。(略)断定的な小林の文章は解釈が必要であり、解読はその読者の責任である。しかし、批評家としての食指もまた、そこにはたらくのである。
2009/08/10
秋山 駿・富岡 幸一郎編『私小説の生き方』、東京新聞2009年7月19日にて紹介 私小説の生き方
私小説の生き方
 人生を作品化し、作品の中で実人生を生きる特異な文芸である私小説。読み巧者の文芸評論家が、〈人生〉と〈夫婦と恋人〉〈家族〉の三テーマにそって、太宰治や牧野信一、藤枝静男ら十八人の作家の名作を選び、その根強い人気と底流する思想を語る。また結婚や老い、貧困など人生の転機や苦難を迎える心構えもこめられている。
2009/07/21
秋山 駿・富岡 幸一郎編『私小説の生き方』、小学館「本の窓」2009年8月号にて紹介 私小説の生き方
私小説の生き方
 戦後文学はもちろん、村上春樹の『1Q84』もふくめ、なんだか文学がずいぶん遠くなってしまった。日常生活では、問題が山積しているにもかかわらず、どうも文学は頼りにならない。昔は「困ったら小説を読め」ということで、確かに役に立ったのですが……。
 本書は、明治の田山花袋から昭和40年代の藤枝静男まで、18人の私小説家が、貧困・介護・老い・結婚など、人生の難問に立ち向かった小説集です。これらを読むと、昔も今も、「何も変らないじゃないか」と思います。(一部抜粋)
2009/06/16
小川和佑著『辻井喬 ――創造と純化』、詩マガジン「PO」2009年夏号にて紹介(尾崎まこと 評) 辻井喬
辻井喬
小川氏の文章を読み進めると、一枚一枚、「隠喩」というお札をはがされ次第に辻井さんの全貌が顕わになってくる。そのスリルと喜び、をぜひみなさんにも味わっていただきたい。(略)戦後半世紀を越え、時代とがっぷり四つの戦いを繰り広げてきた巨大な辻井文学を素材に選ぶことによって、文学と日本文化の危機を鋭敏に感受し的確に指摘してきた文芸評論家の、書かれるべくして書かれた、私たちの道標のような本であると思う。
2009/03/16
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、東京新聞2009年3月1日にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
この半世紀で生活は大きく変わったが、変われば変わるほど、昔話の思い出や、そこから再現された古人の暮らしや心は輝いて見える。フォークロアの根強い人気に支えられ読まれている。
2009/02/25
益田祐作著『行動する眼』、月刊「みすず」2009年1・2月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
益田祐作氏が、自ら企画した展覧会のたびに書き続けた作家論の集大成。現代では独自の行動が、経済性からも、業界からも、メディアからも、いかに遠く隔たっていることか。そのリスクのすべてを引き受けつつ綴られた批評の透明度と迫力は、そこらの美術批評では及びもつかない。
2008/12/05
益田祐作著『行動する眼』、福井新聞2008年11月6日にて紹介 行動する眼
行動する眼
著者は、1991年から2006年まで東京で画廊「ギャルリーMMG」を開いていた益田祐作さん。自ら国内外に赴き、有名無名にかかわらず独自の哲学で選んだ作家に展示会を持ち掛けた人物だ。展示会では、益田さんが熱っぽくつづる作家論入りのパンフレットがつくられた。本書にはこの中から国内外44人分を収録。本県からは橿尾さん、現代書家の山本廣さん(鯖江市)、現代美術作家の岩本宇司さん(福井市)の3人を取り上げた。
2008/12/05
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、「Well Life」2008年10月号にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
ネズミと人間の深い友好、食をめぐる根源的なテーマなど、昔話・口承文芸学の第一人者が東北地方から中国、インドまでを訪ね歩く。啓示や示唆に富む味わい深いエッセイ。
2008/12/05
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、「こどもとしょかん」2008年夏号にて紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
昨年逝去した口承文芸学の第一人者の昔話に関する既出随筆を集成。雪国は他所に比べてより良く昔話を伝えてきたという著者が、11篇の昔話を紹介する「雪国の昔話」他23篇。
2008/10/01
富岡幸一郎編『温泉小説』収載、織田作之助著『雪の夜』J-Bstyle 2008年10-11月号にて紹介 温泉小説
温泉小説
『別府の道頓堀』とも呼ばれた繁華街、流川通りは多くの文学作品に描かれてきた。織田作之助の短編小説はその代表格。大晦日の流川通り。落ちぶれた易者・坂田の前に、かつての恋敵が現れる。読めば別府の街歩きがより楽しめるはず。
2008/10/01
正津勉著『嬉遊曲』、山と渓谷 2008年10月号にて紹介(浜田優 評) 嬉遊曲
嬉遊曲(特装版)
嬉遊曲
嬉遊曲(普及版)
山を往く新詩集である。(中略)本書には、山行途中に遭遇した草木や鳥獣虫魚とのつかのまの交情を、簡潔にリズミカルに切り取った詩篇が並ぶ。(中略)詩人の山旅はまだまだ終わらない
2008/09/01
正津勉著『嬉遊曲』、山の本 2008年秋号にて紹介(山本正雄 評) 嬉遊曲
嬉遊曲(特装版)
嬉遊曲
嬉遊曲(普及版)
平易な言葉で紡がれる深遠な世界。著者が十余年にわたって山を逍遙するうちに出会った山川草木、鳥獣虫魚、雲風湯酒が独特なリズムと語り口で淡々と詠われている。(中略)普段から詩というものにあまり親しんで来なかった評者にも十分楽しめる内容だ。
2008/09/01
益田祐作著『行動する眼』、美術の窓 2008年9月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
今は無きギャルリーMMGの軌跡(中略)画家・野見山暁治氏がまえがきで『日本の画廊での唯一の良心だった』と語るMMG、その閉廊が惜しまれる。
2008/07/01
益田祐作著『行動する眼』、芸術新潮 2008年7月号にて紹介 行動する眼
行動する眼
本書には、15年にわたりユニークな企画展を繰り広げたこの画廊の主人が書き綴った現代美術に関する評論や作品論がまとめられている。
(中略)
ここにあるのは、自らの眼と感動を信じ、安直に傾く現代美術の流れに抗して戦った男の熱い記録である。
2008/05/15
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年5月11日の東京中日新聞で紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
 
2008/04/30
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年4月27日の朝日新聞で紹介 昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
 
2008/04/10
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年4月6日の産経新聞で紹介(赤坂憲雄 評)
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昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
この小さな書物は、細部に眼を凝らす者らにたいして、いくつもの啓示に満ちた発見をもたらすにちがいない。それにしても、いまも昔話の旅は可能か、と呟かずにはいられない。(一部抜粋)
2008/04/10
野村純一著『昔話の旅 語りの旅』、2008年3月30日の毎日新聞で紹介(池内紀 評)
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昔話の旅 語りの旅
昔話の旅 語りの旅
『昔話の旅 語りの旅』には、1970年代半ばから20年あまりの間につづられた24編が収めてある。雪国が昔話の宝庫であって、主に囲炉裏で語られてきた。それはよく言われることだが、そこで聞き取った話と類話を引きくらべ、雪国に生きる人々の「屈曲した発想を垣間見る思い」を書きとめるのは、なかなかできないことだろう。(一部抜粋)
2008/01/28
服部満千子著『伊子と資盛』、2008年1月24日の東京新聞(夕刊)で紹介 伊子と資盛
伊子と資盛
 
2007/09/16
佐藤公一著『小林秀雄のコア』、2007年9月16日の東京新聞で紹介 小林秀雄のコア
小林秀雄のコア
そもそも小説を批評するという行為はどういう意味を持つのか。文学に内在する力、芸術が生み出すものとは何なのだろうか。小林秀雄の文芸批評に対する初期のスタンスをひもとき、その後生涯にわたり彼が貫いた印象批評の核心を照射した一冊。プロレタリア文学とのかかわり、中野重治やモーツァルトへの共振など軌跡をたどりながら、この稀有な文学者の全体像に迫る。
2007/07/12
小川和佑著『花とことばの文化誌』、2007年7月12日の東京中日新聞で紹介 花とことばの文化誌
花とことばの文化誌
五節句、唱歌と童謡、古典文学や現代文学にあらわれた花を渉猟し、花とともにあった生活、花によせたことばのことばの力を見つめ直す。
2007/07
杉原志啓著『音楽の記憶』、2007年7月号の表現者で紹介 音楽の記憶
音楽の記憶
これからは歌謡曲の範疇にJ-POPと呼ばれるものを含めた音楽批評が、日本の流行歌=POPSというカテゴリーで成熟しなければならないのだが、本書はそんな画期的な、革命的な概念構築に寄与する一冊であることも付記しておきたい
2007/07
小川和佑著『桜と日本文化』、2007年7月5日号のサライで紹介 桜と日本文化
桜と日本文化
記紀から現代小説まで桜のイメージの変遷史